教養学部報
第661号
<駒場をあとに> 政治学と地域研究との狭間で
木宮正史
筆者は、学部、大学院(日本・韓国)で一貫して政治学、特に国際政治学・比較政治学をディシプリンとしてきた。あくまで、その一つの方法として、韓国、朝鮮半島に関心を持っただけであった。したがって、当初の就職先である法政大学法学部でも「国際政策論」という講義を担当した。その後、駒場(東京大学大学院総合文化研究科)から誘いがあり、一九九六年、地域文化研究専攻の教員としてお世話になることになった。事実上、不在であった朝鮮半島地域の研究教育に関する役割を期待されたからであった。筆者は文科一類の学生として二年間駒場で過ごす機会があったものの、赴任当初の駒場は大学院部局化の真っ最中であり、筆者の知る駒場とは全く異なる「風景」であった。しかも、「駒場寮の廃寮」という大問題にも直面していた。「未知の場」に足を踏み入れたわけである。
駒場独特の三層構造にもなかなか慣れなかった。教育に関しては、一方で学部一、二年生を対象にした教養政治学の講義を担当しながら、他方で三、四年生および大学院生には、韓国及び北朝鮮を含めた朝鮮半島の政治、国際関係を指導することになった。特に、前者については、新しい講義録を準備しなければならず、当初の数年間は暗中模索で大変苦心した記憶がある。
ただ、今から振り返ってみると、二十九年間も研究教育を持続することができたのは、朝鮮半島地域研究者というアイデンティティを持ちながらも、政治という普遍的な営みの中で、その「個性ある」政治をいかに理解するのかという問題関心を持ち続けたからである。
韓国政治は、筆者が研究に着手した一九八〇年代の軍部独裁・権威主義体制の時代から民主化を経験、民主主義体制が定着することで、選挙による四度の与野党政権交代が生じた。但し、その過程で、三度の大統領弾劾訴追、一度の大統領罷免を経験した。昨年の十二月三日深夜、検事総長出身の大統領が、危機状況が客観的に存在しないにもかかわらず、自らの思い通りにならない政治状況に「業を煮やし」、突如非常戒厳令を宣布、軍隊や警察を動員、野党が多数を占める国会などの機能を抑え込もうとしたが、国会の解除決議に直面し、やむを得ず、わずか六時間で戒厳令を解除するという前代未聞の事態に直面した。そして、大統領は「職権濫用」さらに「内乱主導」を理由に、国会で弾劾訴追されることで職務停止に追い込まれた。その結果、憲法裁判所での弾劾審判に臨むと共に、内乱罪という重大犯罪の嫌疑で現職大統領として初めて逮捕されてしまった。おそらく、罷免は免れないだろう。
なぜ、こうした事態を招いたのか。これから、どのような手続きに基づき、どこに向かおうとするのか。もちろん、法律などに基づく手続きによって決まることもあるが、想定外の事態だったこともあり、まさに「政治」によって事態を切り開くことが切実な状況である。合意によって何らかの新たな価値を創造することで解決の道を探るのか、それとも対立・闘争を通して「勝ち負け」を決めることで解決の道を探るのか。どちらの方法が望ましいのかどうかということではなく、政治という営みがこの両側面を内包しているだけに、韓国の市民、政治家たちが、一体どのような「政治」を選択するのか、その岐路に立たされていると言える。筆者は一九八〇年代半ばの韓国留学を通して、韓国の民主化過程を観察しながら「人間の力で政治が変わる」という当たり前のことを改めて学んだように、韓国の市民から政治という営みに関して実に多くのことを学んできた。今回も、政治という営みの持つ普遍性と、韓国、朝鮮半島という地域の「個性」、この両者の関係をどのように理解するのか、研究者としての筆者も試されている。
とは言え、「大学人」としての筆者自身を振り返ると、忸怩たる思いがある。専攻長として「学内行政」には少しだけ関与したが、大学の将来をどのように構想するのか、などというような「大学をめぐる政治」に、積極的に関与することはほとんどなかった。駒場に赴任した直後の『教養学部報』の「時に沿って」で、「非政治的学生が政治学研究者へ」というタイトルの文章を書かせてもらったように、自分は一貫して「非政治的な人間」だったということを今更ながら痛感する。翻ってみると、筆者を含め多くの人は「非政治的」でありたいと考えるのではないか。しかし、そうした多くの非政治的人間が、政治に参加し、政治を支えることで、政治という営み、特に民主主義体制における政治という営みが成り立つことも否定できない。
大きなストレスもなかったという意味で満足した駒場生活であったが、教室で政治という営みの意義を学生に説明しながらも、最も身近な大学という「社会の場」で、自分がそうした社会の政治に「参加」してきたのか、率直に言って胸をはれるわけではない。もちろん、人には向き不向きがあり、器があることは承知しているが、それでも「大学人」として「大学をめぐる政治」にもう少し積極的に関わるべきではなかったか、反省せざるを得ない。
筆者は東京大学での「大学人」という仕事を終え、今後は「在野人」として自分自身の研究をさらに発展させながら、「非常勤講師」として他大学での授業を続けることになる。AI時代が到来し、今後は、大学の授業もAIが代替するようになるのかもしれない。知のあり方も劇的に変わるのかもしれない。そうした中で、大学の存在意義も今一度問われることになるのかもしれない。現役時代に、こうした大学のあり方を真剣に考えてこなかった「罪滅ぼし」の意味も込めて、今後は、大学の外から大学の将来について、自分なりに考えていきたい。それが、自分を育て育んでくれた大学、東京大学という社会への、遅ればせながらの「恩返し」にもなるのではないか。
(地域文化研究/法・政治)
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