HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報661号(2025年2月 3日)

教養学部報

第661号 外部公開

<送る言葉> 知らずに受けていた御恩に感謝

外村 大

 一九九〇年代、少しばかり朝鮮に関わる研究を始めたばかりの私も、木宮先生のお名前は知っていた。八〇年代、催涙ガスが街に漂っていた韓国に留学された方だとも伝え聞いていた。

 実際に初めてお目にかかることになったのは、私が駒場着任した二〇〇七年である。若き日の木宮先生については直接は存じ上げない。ただ偶然にも旧知の間柄の韓国人のKさんが高麗大の学生寮で木宮先生と向かい合わせの部屋だったとわかった。それを知ったのはつい最近である。Kさんは、乱雑に資料が並ぶ部屋でワープロに向かって研究していた様子や、日本ご帰国にあたって、大量の書籍等の荷物の郵便局への運搬を手伝ったことを私に語ってくれた。

 木宮先生が日本に戻られて二、三年後、つまりは九〇年代初め、Kさんは日本政府の国費留学生に採用された。しかし、日本行きの実現には、受入教員を探して承諾を得なければならない。伝手もなく困ってしまったKさんは、木宮先生の日本の電話番号のメモを頼りに、国際電話をかけた。そして、自分が論文のうえだけで名前を知っていた、とある大学教授に連絡を取って受入の承諾を得ていただくことを依頼した。Kさんの専攻は中国語音韻論で、受入教員候補と想定していたその教授と木宮先生との接点は何もないはずである。単に寮の部屋が近かっただけの日本人にいきなり電話でそんな依頼をするのは、Kさんも失礼で無理な話と考えていたそうである。だが、木宮先生は厭うことなく、依頼を受けてすぐにその教授と連絡を取り、翌日出向いて事情を説明し、面談の結果をKさんに伝えた。かくしてKさんの日本留学は実現し、偶然、私と知り合うことになる。

 一九九〇年代末に短い間、私は高麗大で勉強をする機会を得た。その際、すでに韓国に戻っていたKさんには、ずいぶんお世話になった。彼のなかには、「親切な木宮先輩」の記憶をもとにした日本人への好印象もあったはずだ。とすれば、私は同僚となるずっと以前から知らないところで木宮先生のご恩を受けていたことになる。

 もちろん駒場着任後、学内のみならず学外でも(韓国など海外の出張先も含めて)、私は木宮先生に助けられてきた。私が企画した、ご自身の専門とはやや異なるはずの、植民地期の歴史や在日朝鮮人研究などの研究会にも、先生はいつも出席され、必ず貴重な質問やコメントを述べておられた。また、先生からは共同研究プロジェクトで政治学分野の研究者がメインの場にしばしばお誘いいただいた。それを通じて私も韓国についての認識を広げることとなった。そうした場では、終わると必ず「今日はありがとうございました」と丁寧に挨拶されるというのが常であった。

 かつてからは考えらえないような密接な日韓関係を作り出し維持していく上での先生の役割も小さくなかった。その意味では、私に限らず、日韓の市民はなんらかの恩恵を先生から受けていると言ってもいい。この紙面を借りてしっかり書いておきたい。木宮先生、本当にありがとうございました。

(地域文化研究/歴史学)

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