HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報661号(2025年2月 3日)

教養学部報

第661号 外部公開

<送る言葉> 孤高の巨人

桑田光平

 自分などに松村剛先生を送る言葉など書けるだろうかという強い不安がいまだに拭えないものの、しかし、先生の業績とご研究の意義についてきちんと評価できる人はこの駒場であってもまずいないと(勝手に)思うので、結果、自分であってもよいだろうと言い聞かせ、こうして筆をとっている。

 松村先生は一九九〇年に助手として着任されたのち、九三年より助教授(のち准教授)、二〇一二年より教授をつとめられた。先生のご専門は中世フランス文献学・語彙論で、二〇一五年にフランスのBelles Lettres社から刊行された『中世フランス語辞典』によって、翌年アカデミー・フランセーズのフランス語圏大賞を受賞されたことは記憶に新しい。たったひとりの非アルファベット圏の外国人が、もう話されていない中世フランス語の辞書を編纂するということがどういう作業を伴うのか、私のような人間には想像だにつかない。松村先生ご本人は、誰も使っていない古語であるために研究対象になりにくく、ネイティブスピーカーが存在していない以上、フランス人だからわかるということもないため、日本人であっても研究に参入できた、と非常に謙虚な態度でインタビューでは語られている。この辞書の評判はきわめて高く、名誉教授のパトリック・ドゥヴォス先生によれば、すでにフランスでは「ル・マツムラ(Le Matsumura)」という名で通っているようで、実際にフランスの研究者の口からこの名が語られるのを聞いたらしい。刊行後はコレージュ・ド・フランスに招聘されて連続講義が行われ、二〇一八年には日本学士院の恩賜賞・学士院賞も受賞された。

 松村先生の業績がこの辞書にとどまらないことは、フランス関係の人文系研究者であれば誰でも知っている。ジョルジュ・デュビーやマルク・ブロックをはじめとする歴史家・人文学者の重要な著作の日本語への翻訳や、博士論文として結実し、フランス学士院の碑文・文芸アカデミーからランティエ賞を受賞された中世武勲詩の批評校訂は、『中世フランス語辞典』と並ぶ松村先生の代表的なお仕事と言えるだろう(周知のことだが、二〇一九年には碑文・文芸アカデミーの連携会員に選出されている)。また、さきほど研究者の悪い習慣で書いてしまった「先生のご専門は......」という言葉が空虚に響くほど、文献学者・語彙論者としての松村先生は、パスカルであれ、スタンダールであれ、フロベールであれ、プルーストであれ、時代に関係なくどんな作家のテキストも研究対象とされた。自分自身の手と目で実際に調査された文献学的真理を第一に据えるその研究は、きわめて明晰なフランス語によっておびただしい数の論文や著作のかたちで発表され、相手が専門家であろうと著名人であろうと意に介することなく、先行研究や翻訳の間違いを切れ味するどく指摘するスタイルは、もし自分がその対象となれば間違いなく三、四ヶ月は落ち込むだろうが、一読者としては痛快にすら感じられた。アカデミー・フランセーズ・フランス語圏大賞受賞の祝賀会に参加させていただいたとき、二十世紀の作家ポール・ヴァレリーの研究者がお祝いのスピーチで「頼むから、自分が贈った翻訳書は読まないでくれ、現代の作家にまで手を出さないでくれ」という趣旨の話をされていたことをよく憶えている。私もまったくもって同感だ(それでも自分の訳書や著書は時々、お渡ししている)。二〇二二年に刊行されたバルザックについての著作には、そうした松村スタイルの刺激的な論考が詰まっている(森元庸介先生による書評が教養学部報六四〇号に、また、松村先生ご自身による紹介文がUTokyo Biblio Plazaに掲載されているので、ぜひご覧いただきたい)。

 三百本以上あるフランス語の論考をすべて読んだわけでもない(どころか、ごくわずかしか読んでいない)人間が、これ以上、松村先生の業績について無理して贅言を弄する必要はないだろう。輝かしい業績とその長身から「孤高」という言葉がまさしく相応しい松村先生だが、そんな孤高の巨人がもつもうひとつの顔を最後に紹介したい。するどすぎる文章で多くの人に恐れられているであろう松村先生とは、研究室が同じフロアにあるという偶然のおかげで、廊下で立ち話をする機会が多かった。私が着任したばかりの頃は、時間割編成のことや駒場のフランス語の先生がたのこと、部会の歴史などについて、ユーモアを交えながらいろいろとご教示くださったし、私や私の家族の健康のこともよく気にかけてくださった。コロナ以前は何度かランチに誘ってくださり、渋谷のフレンチで楽しい時間を過ごしたのはよい思い出で、ざっくばらんにいろんな話をしてくださるものだから、私にとっては「緊張させない人」というイメージが強くなり、廊下でお見かけした時は、気軽に与太話をさせていただくようになった。コロナで全面オンライン授業になった年、私は運悪く部会主任になってしまったが、想定外の問題が起こり続けた時期も、ときおりメールでアドバイスをくださり、主任がいなくても部会は回るものなので自分の健康と時間をまずは大切に、と優しい言葉を添えてくださった。

 松村先生が退官なさったあと、駒場のフランス研究に大きすぎる空洞ができることに、すでに不安を覚えている。とりわけ雑誌や書籍の選定という、地味に見えてもっとも大切な研究の基礎の部分を、選書委員であるかどうかにかかわらず、松村先生は長年担ってこられたと思う。ご迷惑でなければ、選書に関しては、これからも変わらず、簡潔にして的確なアドバイスをいただければと思っている。

(超域文化科学/フランス語・イタリア語)

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