HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報661号(2025年2月 3日)

教養学部報

第661号 外部公開

<時に沿って> 時に静寂、時に喧騒

福井暁彦

image661-7-1.png 二〇二四年十月に広域科学専攻広域システム科学系/先進科学研究機構の講師に着任しました福井暁彦と申します。専門は天文学と地球惑星科学にまたがる系外惑星科学という分野です。国内外の望遠鏡を用いて太陽系の外の恒星をまわる惑星を探索することで、惑星の成り立ちを探っています。以下では、自己紹介を兼ねて私の研究者半生を振り返りたいと思います。

 私は二〇〇六年に神戸大学理学部を卒業後、名古屋大学大学院に進学し、今の研究に繋がる系外惑星の研究を始めました。当時は世界を追って国内でも系外惑星が発見され始めており、自分も新たな惑星を発見してみたい!というのが研究を始めた動機でした。一方、所属した研究グループでは、ニュージーランドにある望遠鏡を用いて一年中観測を行っており、学生は一ヶ月交代で現地天文台に滞在して観測を実施しなければなりませんでした。天文台はターコイズブルーの湖を望む風光明媚な山頂にあり、夜は頭上に広がる天の川を堪能できる格別の場所ですが、観測は一ヶ月間一人で行うこともあり、孤独との戦いでした。

 二〇一一年に学位を取得後、瀬戸内海を一望できる岡山県内の天文台(国立天文台岡山天体物理観測所)に職を得て、七年間のポスドク生活を送りました。天文台では下っ端所員として望遠鏡の運用に携わる傍ら、自分の研究を粛々と行っていました。所員の数は事務員含め十名程度と少なく、学生もいないため、山陽地方の温暖な気候も相まって、比較的のんびりとした生活を送っていました。また、この間に妻子に恵まれ、子育てにも時間を費やしました。周囲はのどかで自然も多く、子育てには最適の環境でした。一方で、車通勤をしていたこともあり、運動する機会が減ったため、私のお腹周りも順調に成長しました。
そんな平和ボケしていた私を、二〇一八年に当時本郷におられた生駒大洋先生(現・国立天文台教授)に東京にひっぱり出していただき、首都圏での生活が始まりました。今でこそ慣れましたが、当初は人生初の電車通勤に不安と戸惑いがありました。その後、二〇二一年に本郷から駒場に移り、特任助教のポスト(先進科学研究機構・成田研究室)を経て、今に至っています。現在は通勤時に往復で一時間以上歩いているため、運動不足もずいぶん改善されました。

 東大に来てから、生活環境だけでなく研究環境も大きく変化しました。身近に同分野の研究者が多く、対面での交流が(コロナ禍を除き)容易にできることに加えて、なにより、優秀な学生さんと活発に議論が出来ることが自身にとって大きな刺激になっています。特に、先進科学研究機構の教員が開講しているアドバンスト理科・研究入門の授業では、やる気と能力に満ちた学部一年生が研究室に来てくれるため、通常はなかなか手が出せない萌芽的な研究アイデアを一緒に試したりしています。

 研究者は時に独りでじっくりと考えることも大切ですが、やはり他者との議論が重要であると改めて感じています。今後の研究者人生、いつどこに身を置くことになるか分かりませんが、ひとまず今はこの恵まれた研究環境を大いに楽しみたいと思います。

(広域システム科学/先進科学)

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