教養学部報
第661号
<時に沿って> 工場のようであった場所で装置達と戯れる
大熊 光
二〇二四年十月一日付で、総合文化研究科広域科学専攻相関基礎科学系の助教に就任しました大熊光と申します。専門は物性物理実験です。修士課程から博士、PDを通じて相関基礎科学系の上野和紀研究室に所属し、その後研究職を目指して就職活動していた中で、引き続き同研究室でのポジションに就く機会を頂きました。
修士で駒場に来たとき、当然自分がそこで教員を務める未来など想像もできず、遡れば大学生のときには、院生になって物性物理の研究をやっている未来すら描けていませんでした。学部時代は、他大学の数学科におり、そこでの講義の予習や復習をしながら個別指導塾のアルバイトで中高生達に数学を教える日々のサイクルに没頭していたこともあり、漠然と教育業界への就職を視野に入れていました。しかし、今思い返せば何かを産み出すcreativeな仕事への憧れもあったように思います。
分野を変え、物理学の研究に参入しようと思った経緯は複雑ですが、駒場で物性物理実験の研究をやりたいと思った決め手は、上野研&前田研の鉄系超伝導体の界面超伝導の論文を読んだことかもしれません。当時は電気抵抗がちゃんとゼロ抵抗になっているデータくらいしか理解できなかったけれど、図がとても鮮やかで、こういうカッコいい論文を自分も出版したいという気持ちが強く沸き起こりました。その後は、憧れと現実との間のギャップに圧倒される日々の連続でした。一番色濃く覚えていることは入試前にはじめて上野研究室に訪問した日のことです。先生が気さくに研究内容を説明してくださったり、院生の方々が金属蒸着装置の煌煌と輝く坩堝の中を見せてくれたりしましたが、何よりも印象に残ったのは、学校の教室くらいの広さの実験室が、巨大な工場のような場所に感じられたことです。面白そうではあるが、こんな工場で自分は研究をできるのかなと、まだ駒場の大学院に合格すらしていない段階なのに勝手に怯えていました。その日は、ちょうど土砂降りの雨が降っていました。
駒場に来てからの日々はまたたく間に過ぎていきました。修士課程で取り組んだ厚さ一ナノメートルという極薄の結晶を対象とした実験では、物質合成やデバイス加工、イオン性液体を用いた測定まで、多くの時間と労力を要しました。数週間の努力がほんの一瞬でゼロになることもありましたが、試行錯誤の末に得られる新しいデータの興奮や、それを論文として出版するという目標が、私を博士課程進学という次のステップへと駆り立てました。
物性物理実験では、物質を「作って」、現象を「観る」ことを主に行うのですが、いま私はかつて「工場のようだ」と怯えていた実験部屋を拠点に、装置を手足のように扱い、オリジナルな物質を作ることの愉しさを享受しています。漠然と苦手意識を持っていた装置達の群れが自分の一部となる日が来るのだということは学部時代の自分にはわからなかったし、改めて先入観を捨てて進むことの大切さを痛感しています。
(相関基礎科学/物理)
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