教養学部報
第663号
〈後期課程案内〉文学部 文学部の対象と方法
人文社会系研究科・副研究科長 小林真理
文学部の英語表記をご存知でしょうか。Faculty of Lettersが文学部の英文名称です。皆さんがよく知っているLetterの日本語訳は「手紙」でしょう。Letterの訳語には「文字」があります。文学部は、文(字)の学部として出発しました。これは、日本が近代的な高等教育機関としての大学をはじめて作ったときに遡ることになります。日本が江戸から明治に切り替わったときにもっとも力を入れられたことは、欧米列強に支配されない国をつくることでした。そのためには様々な制度を近代化していくとともに、最先端の諸外国を知るということが大学の最重要使命でした。諸外国の事情を知る上で重要だったのが、その国の文化の根幹にある言語ということになります。言語は話されるものですが、文字で書かれることにより、空間や時間を越えます。その文字というメディアを扱う学部として文学部が発足しました。
文字が人間によって発明されたことの意味は重要です。文字で伝えられたものが、哲学であり、思想であり、歴史であり、文学であり、心理であり、社会だったのです。これらすべては人間がつくりあげたり、記述したりして伝えてきた、文化領域です。文字というのは、人間が伝達手段としてつくり出したものであり、時間と空間を超える優れた発明品です。とはいえ、私たちに何かを伝えるものは、文字だけではありません。文字という立ち位置があるからこそ、文字以外の表現態、たとえば文字のない時代、地域、文字で表現されていない人間の営為(たとえば考古遺物、あえて文字を使うことをしない芸術作品)に目を向けることができ、研究の領域を拡げてきました。それが二十七の専門領域へと拡大してきたのです。
言葉は時空間の制限というものから自由です。興味・関心の対象や研究仲間が、時間的・地理的に遠くてもいいのです。文字が発明されて以降の文字で記された資源も膨大です。文字を使えば、過去の人とも一緒に研究ができるということです。言葉は事物を対象化することもできます。それによって、より自由に考え、批判することも可能になります。言葉を介して、ある学問規範と他の学問規範と組み合わせることも可能です。そして多様な文化領域に広がっていることから、個人の興味・関心を自由に追求できる可能性が、文学部にはあります。
文学部という場所は、すでに世の中に存在する史料・資料を読み解く、解釈する、研究するという姿を想像するかもしれませんが、現代の課題に立ち向かっている研究も多く、研究の技法や方法も多様です。一人で黙々と勉強して、見えない他者と戦う場所のようなイメージあがるかもしれませんが、それとは全く異なるところです。大きな講義で学んだことや、自ら学んだことを一緒に共有しながら学び合う、少人数教育が特徴となっています。演習というものです。慣れていない最初は緊張するかもしれませんが、文学部はこれをとても大切にしています。何故でしょうか。講義を聞いて自分で勉強して知識の習得に満足する。それは一人でできることです。ただ、多くの普通の人は独り善がり的になってしまって、自分の研究を客観視できなくなり、偏りの度合いを強めてしまいます。教員、そして同じ分野の学生たちと一緒に安心した状況の中で自分のテーマを対話し、議論しあうことを通じて、自らの研究が独り善がりになっていないことを確認する地道な作業が行われます。いまや世界、社会、個人にとって、簡単に解答や解決策が見つけられない現代こそ、まさに考え続けることに耐える力を付けるのが、大学で学ぶ意義です。このコミュニティでの対話こそが議論をし続けるためのインフラであり、公正性の担保に繋がります。実は、そのような行為を続けながら、文学部は人間の営みを扱う学問の最先端をいっているところなのです。
二〇二三年九月には大江健三郎文庫を開設し「自筆原稿デジタルアーカイブ」、「関連資料コレクション」、そして「書誌情報データベース」を公開する取り組みを始めました。また、専門分化化し、深化した学問領域への理解を深める場として、本郷キャンパス文学部の本拠地の一つである法文2号館に、「文学部の扉」という展示スペースをオープンしました。ここは、文学部や大学院人文社会系研究科で扱う人文知を社会に向けて公開し、交流する「扉」です。また四月からは大学院レベルですが、文学部が対象とする広汎かつ多様な学問領域を対象として、情報技術に関する知識・スキルを習得しながら学び、研究のさらなる可能性を拡張させる、デジタル人文学プログラムが開設されました。
(副研究科長/文化経営学)
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