教養学部報
第663号
〈後期課程案内〉教育学部 教育学部への招待
教育学研究科長・教育学部長 勝野正章
身近で遠い教育学
哲学、歴史学、法学、経済学など他の人文社会科学諸分野と比較して、教育学はどういう学問か、イメージがつきづらいという読者は少なくないと思います。高校までの教育課程では、教育学に対応する教科目がないことを考えれば、それも無理はありません。教育学部と言えば、教職免許取得を目的とする教員養成学部が一般的認識であり、学問としての教育学も教え方の歴史、思想や哲学という限定されたイメージをもたれがちです。
その一方で確かなのは、誰もが身をもって何らかの意味で教育というカテゴリーに含まれる事象を経験しているということです。そうした経験を振り返り、どうしてこうだったのだろうとか、もっと別の在り方はなかったのだろうかと、興味や疑問を持ったことはないでしょうか。それらすべてが教育学への第一歩になります。自分自身の日常的な経験そのものが探究の契機になるという反省的性格は、教育学の特徴のひとつです。しかし、個人的と思える学習や成長に関わる事象の大部分は、実はきわめて社会的でもあります。そのため、ただ個人の内面世界へと沈潜するのではなく、逆に対象から遠く離れたところから観察するだけでもなく、個人の経験と社会的編成との間を往還する探究が教育学であると言えます。
学校で教え学ぶ内容や方法だけでなく、ヒトの心と身体、社会的慣習や制度・政策としての教育など、教育学の研究対象は実に幅広く、しかもそれらは例外なく個人的かつ社会的で、極めて複雑な事象です。教育学は、まずはそうした事象の理解を深めることを目的としています。しかし、それだけでなく、教育学はよりよい教育の在り方を模索し、改善を図るという強い志向性を有しています。対象の理解(理論、知識)と変革(実践、政策)が緊密に結びついている点も、教育学の特徴であると言えます。
インクルーシブな知性
さて近年、教育学部が目指す方向としてしばしば掲げているのが、「インクルーシブな知性」を持った市民を育てるということです。近代の学問は自然や社会、そして人間を緻密に分析することで飛躍的な発展を遂げてきました。そのような分析的な知は、技術、産業、医療など多方面にわたり大きな便益を人間にもたらしましたが、その一方で、地球環境の破壊や、人間や社会の恣意的な分類や序列化をもたらしたり、異なる価値観や意見、生き方をする他者の排除を促進したりすることもありました。残念ながら教育学も、そうした排除の知として機能した面がないとは言えません。
「インクルーシブな知性」とは、そうした切り離す知、排除の知、時に近代主義や人間中心主義と言われるものが自らを反省的に捉え返し、乗り越えようとするものです。深刻の度を深めている差別や排除に対する感受性と、それを批判的に理解するための知識は、まさに現代社会における教養と言えるものであり、そのような教養を身につけた市民を育むという使命を教育学は強く意識するようになっています。教育学部では、どのコースでも、その言葉自体は使っていなくても、「インクルーシブな知性」につながる研究と教育を行っています。さらに、教育学部が二〇二一年度にセーファースペース(KYOSS)を開設したのも、そうした理由からです。KYOSSでは、多様なジェンダー/セクシュアリティ、障がい、生きづらさに関する当事者性を持つ学生、教職員による学びあい、協働を通じて、新たな教養が生まれています。
共生社会と民主主義の実現に向けて
教育学は、個人と社会を切り離すのではなく結び付けて探究する学問であること、また、理解と実践の関係も同様に切り離すことができないことを述べました。もう一点、戦後、日本が二度と戦争をしない国となり、個人の尊厳が最大限に尊重される社会となるための重要な任務を担うものとして教育の再建が図られるとともに、教育学もまたその理念の強い自覚と共に再生したことも付け加えておきたいと思います。前期教養課程では、このような教育学の理念と間口と奥行きを感じ取ることができる「持出専門科目」を開講しているので、ぜひ、受講してみてください。
教育学の対象と方法は実に多様であり、皆さんの多様な知的興味関心に応えることのできる総合的・学際的な学部が教育学部です。学生の男女比はほぼ一対一であり、東京大学の中では女性教員比率の高さが際立っています。さらに、比較的規模の小さい学部であるため、学生どうし、学生と教職員の距離が近いことも教育学部の特徴です。
今日の教育学は、真に個人の尊厳が尊重される共生社会と民主主義を実現するために、戦後改革期以来の再創造が求められています。教育学の新しい地平をともに切り拓いてゆく仲間として、教育学部は皆さんの進学を心から歓迎します。
(教育学部長/総合教育科学)
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