HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報663号(2025年5月 7日)

教養学部報

第663号 外部公開

ひとりの大統領とすべての執行権?

平松彩子

 年始以来、アメリカ合衆国の政治、なかでも大統領とその側近の一挙手一投足が作り出す混乱が、日本のメディアでも毎日のように報じられるようになった。大統領本人のSNS上や公の場での発言、ホワイトハウス西棟に招かれた各国首相とのやりとり、あるいは何の政府権限を持っているのか実のところ不明な大富豪が連邦の政府諸機関に突入して繰り広げている行為は、アメリカの国内、国外を問わず、既存の制度や秩序に揺さぶりをかけている。本稿ではこの政権の原動力となっている議論をまず取り上げ、その勢いを止めることがなぜできていないのかについて考えたい。

 すなわちそれは単一執行権理論Unitary Executive Theoryと呼ばれる主張である。合衆国憲法第2条は大統領府の権限を定めており、その第1項は「執行権はアメリカ合衆国大統領に帰属する。The executive Power shall be vested in a President of the United States of America.」という一文から始まる。主語である執行権には留保や条件が付加されていないこと、また大統領が不定冠詞aにより単数の存在として表現されていることを理由に、憲法第2条が一人の大統領のもとに権力をすべて集約させることを認めているという解釈が取られる。議会が上下両院合わせて535人の議員で構成され、50の州ないしはその中の異なる選挙区を代表する機関、つまり部分の集合体であるのに対し、大統領はアメリカ国民全体を一元的に代表する主体である。選挙を通じて国民の多数派の意思を直接代表していることを根拠に、大統領個人が連邦行政府の権限を全て手中に収めることが正当化される。また大統領の権限は官僚などの他の主体に委任されてはならず、官僚機構の手続きや既存の制度を差し置いてでも、大統領の意思を優先させることが容認される。

 合衆国憲法の起草まで遡れば、確かに建国の父アレクサンダー・ハミルトンは大統領府を一人の行政首長に担わせるのか、あるいは複数の執政官を据えその間で合議させるべきなのかを比較検討した。後者の古代ギリシャとローマでの失敗例を念頭に、即断の必要性や説明責任の所在の明確さなどから大統領は一人とする方が良いという結論に至っている(『ザ・フェデラリスト』第70編)。前段で引用した大統領権限の憲法規定は、ハミルトンの議論を受けて、執政官を複数人おく制度を否定した表現であるとされる。

 一方、単一執行権理論は、一九六〇年代末までに形成された連邦行政国家を解体することを念頭に、大統領の改革要求が官僚機構独自の制度や手続きに阻まれる状況を打開しようとした一部の保守派の法学者の間で一九八〇年代ころから論じられ始めた。さらに二〇〇〇年代にジョージ・ブッシュ政権が対テロ戦争を遂行するにあたり、特に軍事機密や諜報活動に関する戦時下の大統領権限を強めるために依拠されるようになった。共和党の大統領は連邦裁判所の裁判官を任命する際に単一執行権理論を是認する候補を推すようになり、もはや異端な議論ではなくなってしまった。現在の連邦最高裁判所の裁判官9名のうち6名を輩出している共和党保守派の法曹団体は、自ら「フェデラリスト・ソサエティー」と名乗っていることからも明らかなように、憲法起草者の書き残したテキストに自らの論理の起源を求め正当化しようと試みる。

 しかしスティーヴン・スコウロネクをはじめとする大統領研究者によれば、建国者の間では連邦行政府の活動はごく限られた範囲でしか想定されておらず、大統領一人に連邦政府の全ての権限を集約するという主張が当時から受容されていたとは言えない。現代大統領制と官僚機構が実質的に形成されたのは一九三〇年代から六〇年代にかけてであって、あくまで単一執行府理論は現代アメリカ政治の文脈から作り出された近年の憲法解釈として理解した方が良い(Skowronek, Dear­born, King. Phantoms of a Beleaguered Republic. Oxford University Press, 2021)。

 単一執行権理論は単純明快であり、かつ権勢欲を満たすものなので、トランプ大統領の個性には合っているのだろう。二〇一七年から二一年までの第一期政権に関連して連邦官僚機構から疑いの目を向けられた案件、具体的には一六年大統領選挙でトランプ陣営がロシアと協働して干渉を行ったとされた疑惑や、二一年一月六日の連邦議会襲撃事件について、司法省が捜査を行ったことを、トランプは自らに対する不正な「魔女狩り」であるとすでに吹聴してきた。第二期政権では、政権に反抗しかねない官僚機構を先んじて撃つことで、大統領個人による統制を強めようとする動きがすでに複数顕在化している。報道によれば、議会襲撃事件を担当した連邦捜査局の職員の名簿をホワイトハウスに公開することを拒んだ同局幹部が辞職させられている。また国防省、退役軍人省、国務省、保健福祉省、中小企業局などの独立監査官17名が解雇された。独立監査官はウォータゲート事件後一九七八年に議会によって設立され、官僚機構の執行活動に透明性を持たせるためその会計監査報告を議会に対して行う非党派の官職である。大統領が独立監査官を更迭する際には本来ならば議会への事前通達が必要であるが、今回はそのような手続きが踏まれていない。

 同様の例は他にもあるが、いずれもニューディール期から一九七〇年代にかけて定められてきた行政手続に関する法律、および議会による官僚機構の監視制度をあからさまに無視する行動が立て続けに取られている。これまで行政手続法や独立監査官制度のもとで、連邦政府の決定により不利益を被る人々の異議申し立ては多くの場合可能であった。今後、大統領個人の意向に沿って恣意的に政策執行が行われることが続けば、異議申し立てをすること自体を躊躇する人が増えるであろうし、あるいは申し立てをできたとしても、手続きを経て救済を勝ち取るには多くの時間と資源が必要になるものと考えられる。いわゆる政府効率化省DOGE(省の設立には議会立法による権限承認と予算が必要であるが、それを経ていないので、「いわゆる」と留保を付けざるを得ない)による連邦職員の大量解雇や、副大統領が裁判所による違憲審査権を否定する発言をしたこととあわせて、法の秩序が覆されていく様子が見て取れる。

 合衆国憲法第2条は大統領の権限を定めたが、先立つ第1条はより多くの紙幅を割いて連邦議会の権限と管轄を定め、連邦政府部門の中心に立法府を据えた。フェデラリストは議会が予算の制定や大統領任命人事の承認を通じて、大統領に対して抑制と均衡を利かせれば、行政府の暴走が抑止できると期待していた。しかしこの間、共和党多数議会が大統領の行動を問いただすような動きはほとんど起きていない。二〇二六年の中間選挙の共和党予備選挙で、反乱分子として大統領に目の敵にされ、トランプ派の対立候補を盛り立てる広告に富豪由来の選挙資金が流れ込むのを、現職議員は恐れているものと考えられる。一九六〇年代の民主化の時代とその後に生まれたさまざまな統治制度の配置が、今まさに目の前で変えられようとしている。

(グローバル地域研究機構アメリカ太平洋地域研究センター/法・政治)

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