教養学部報
第664号
<本の棚> 東京大学教養教育高度化機構EX部門 編『つくって学ぶアクティブラーニング』
原 和之
能動性の拡張/拡大
前期課程一年生の皆さんは、新歓の慌ただしい時期が過ぎて、新しい環境にもようやく慣れた頃と思います。新たな生活のリズムの中、大きな時間を占めているのは大学の授業と思いますが、この授業、どんな印象をお持ちでしょうか。新鮮だと思う方も多いと思いますが、高校とあんまり変わらない、と感じている方もあるかもしれません。
教養教育の役割の一つには専門的な学問の予備教育という側面があり、そうした場面では知識や考え方を効率よく伝達することが優先されるため、どうしても一方通行の座学という形式になりがちです。ただこのような「学び」のあり方は、決して唯一無二のものではありません。大学入試の受験勉強では、あるいは西洋に追いつくことが問題であった近代日本においては最適解であったそうした「学び」方も、異なった場面、異なったフェーズではまた別の形が求められること、このことはこれまで何度も指摘されてきたわけですが、これは逆に言えば、そうした「学び」のスタイル―「勉強」のマインドセット―が、それだけ強固に根付いてきたということでもあります。
さて駒場には「教養教育高度化機構(KOMEX)」という組織があり、ここでは「学び」の学際的・先端的、場合によっては実験的なあり方が模索されていますが、そうした模索の鍵語の一つに「アクティブラーニング」があります。これは従来型の授業を、一方通行で受け身のものと特徴づけた上で、能動的であることのほうに授業の新しい姿を求める考え方とさしあたりは理解することができるでしょう。教養教育高度化機構でも駒場アクティブラーニングスタジオ(KALS)を中心に二〇一〇年以来行ってきた取り組みですが、本書『つくって学ぶアクティブラーニング』は、あらためてEX(Educational Transformation)の文脈に位置づけられたこの取り組みにおける、更なる展開を垣間見せてくれるものとなっています。
本書の第一章「つくって学ぶアクティブラーニングのデザイン」では、「アクティブラーニング」が必要となってきた社会的な文脈から説き起こして、教育学ないし教育工学の分野での議論が紹介され、アクティブラーニングを考察するための大きな枠組みが提示されます。そしてこのいわば理論編を経て、第二章から第九章までは実践編ということで、ルーブリック、アナログゲーム、教材、ケースブック、授業、反転授業、ワークショップ等、何かを「つくる」ことを軸に展開される多種多様な授業の事例がそれぞれ提示されます。そして最終第十章では座談会形式で、これらの授業の担当教員の皆さんが「つくって学ぶアクティブラーニング」をそれぞれ実際に運営した経験を共有し、その「デザイン原則」が提案されるという構成になっています。
なによりこれからつくって学ぶ授業に取り組みたい人の手がかりとなるよう編まれたこの本ですが、読み進めるうちに能動的ということの意味について繰り返し考えることになりました。受動的とされる従来型の授業であっても、学習者の能動性は(たとえばノートテイキングなどにおいて)完全に排除されるわけではありません。ただ特に能動的とされる学びにおいては、発表やディスカッションなど他者との相互作用とそこで生じる気づきや新たな知識が重視されますが、これはもっぱら学習者の学びに資するものと考えられていました。これに対して「つくって学ぶアクティブラーニング」では「共有」がポイントとなります。従来型のアクティブラーニングでも、他者との相互作用の前提として、共有という契機は組み込まれていますが、ここではそれとともに、有形であれ無形であれ、制作物が授業参加者を超えて、中高生や当該授業の次年度受講者、さらには社会人と、教育的な場面で共有されることが意識されています。言い換えれば本書の描く「アクティブラーニング」で、能動的であるということには、教材作成者であれ、授業企画運営者であれ、単に学習者として能動的であるにとどまらず、新たな学びのサイクルの起点となるという意味が付け加わったということになるでしょう。
これはある意味で、「能動性」概念の本質的な「拡張」であると言えます。そしてこの拡張は同時に、こうしたアクティブラーニングを経た人たちが、自身もアクティブラーニングを実践し、以下同様に続く、という仕方で、能動性の「拡大」の道を開くものでもあるように思われました。今年度Aセメスターにはこの本で取り上げられている授業「SDGsを学べる授業をつくろう」の開講も予定されています。本書と併せて、ひとりでも多くの駒場の皆さんが、これを実地でも体験されることを願っています。
(地域文化研究/フランス語・イタリア語)
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