教養学部報
第664号
<本の棚> 番定賢治 著『戦間期日本外交と国際機構 多国間外交の可能性と限界』
前田亮介
日本の多国間外交の歴史は、戦後の「国連中心主義」を含め、「消極性」が強調されやすい。だが本書が描くように、一九二〇年代には国際連盟に関わる外交部局や国際法専門家の存在を前提に、国際裁判、人の移動、国際人道法という三つの越境的な課題をめぐる多国間外交の舞台が生まれ、各国は既存の二国間外交と異質な磁場が働く政治過程に対応せざるをえなかった。戦間期国際秩序をアクティベートする諸枠組みの設計も、パリ講和会議を補完するその後の一連の会議外交に帰趨が委ねられたのである。
では多国間外交のアリーナの現出は、「五大国」日本にいかなる態度を迫ったのか。この知られざる格闘を再構成すべく、本書は上記の三課題への対応を詳細に解明した。単独でも魅力的な題材だが、著者は「多国間外交の可能性と限界」という共通の文脈に置くことで、日本外交史が見落としてきた歴史の陰影に光をあてることに成功している。
本書の成果が示す含意はいささか苦いものである。国際裁判の事例では、日本外務省は一九二四年のジュネーブ平和議定書と翌年のロカルノ条約を機に平和的に解決できる紛争範囲を拡大させる新しい態度を徐々に打ち出し、対米関係改善の思惑と相まって、二〇年代末までに態度変容は外交交渉に反映された。そこでは、自ら一切の法律的紛争の留保を撤回して「自由主義的高処」(62頁)に立つ戦略性まで見られた。さらに、第二次幣原外交では二国間条約での裁判管轄権の拡大に加え、連盟で国際司法裁判所規程の選択条項受諾の動きが広がったのを受け、普遍的な国際裁判の義務化を受容する準備も進んだが、満州事変と連盟脱退はその努力を無にする。ただ日本には裁判を戦争の抑止に結びつける意識が元来薄く、欧米への追随と疑念の狭間で浮上した上記の攻勢でも、外交問題の有利な解決への目論見や大国としての名誉の誇示が結局せり出していた。
残る二事例はそれぞれ戦間期日本外交の可能性と限界の極点ともいえる。外国人待遇問題の政治過程からは、日本が外/内国人平等待遇を有名な人種平等提案と切り離して提案することで英連邦や南北アメリカの離反を抑えつつ、連盟規約中の通商衡平待遇を資本・商品・人の「移動の自由」と読み替えて連盟(理事会)のコミットメントを保障しようとしたことが窺える。二国間交渉で打開が難しい日系移民の待遇改善が、多国間の枠組みでこそ促される期待を秘めたこの試みを、著者は「多国間枠組みにおける日本政府の交渉姿勢の中でも特異な姿勢」(119頁)であり、「国際機構による規範の形成を模索」(153頁)したものと高く評価している。これと対照的なのが、軍の発言権が強かった改正赤十字条約と捕虜条約をめぐる政治過程だろう。前者の批准、後者の未批准という興味深い分岐が生じるも、日本外交は「変遷よりも、むしろ一貫した消極的な態度」(147頁)に特徴づけられ、当初は英米への「消極的大国順応」に、やがて「消極的枢軸国順応」に収斂していった。
ただ、外国人待遇の多国間枠組みにむけた「長年の努力の結晶」も、日系移民受入国の不参加に直面すると「呆気ないほどに潔く見限」られたこと(118頁)、また「私的団体」たる赤十字国際委員会の関与や、捕虜待遇義務発生が想定しにくい「小国」を含む多数決に不信感が強い一方で(139、144頁)、東京開催の一九三四年赤十字国際会議では敵地での文民保護の条約化を「在米邦人」保護の観点から歓迎したこと(143頁)をふまえると、一見対照的な二事例は、在外同胞問題のためにする多国間外交として通底するかもしれない。終章で指摘される、日本外交における互恵主義の希薄さと呼応する一面だろう。
このように、「『未発の可能性』が未発に終わるに至った過程」(160頁)を一定の共感を込めつつ冷静な筆致で跡づけるバランス感覚は著者の美徳である。また国際機構への関与の消極性という通念に安易に積極性を対置せず、消極性がなぜ消極性にとどまったかを、垣間見える積極性の盛衰とともに繊細に描写した点も高く評価される。連盟が遠く極東の外交を規定する力学は近年最も研究が進む分野だが、それらの研究が欧州仕様の新秩序を(段階的であれ)いわば確立した規範の体系ととらえ、それが危機の時代にグローバル化し、日本による規範の逆用も促す逆説に注目するのに対し、本書は規範の形成局面に関与しえた日本外交の可能性と限界を正面から問う点で、先行研究と異なる沃野を切り開いている。
そして国際規範に国益を織り込めなかった日本の限界は、一九二〇年代後半からの連盟の比重の高まりを前に行き詰まりを示す幣原外交像とも重なる。外交と人権という興味深い戦後への展望を含め、規範形成をめぐる会議外交史として、本書は様々な読者を刺戟するはずである。
(国際社会科学/国際関係)
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