教養学部報
第664号
<時に沿って> 時に沿いつづける研究
益 敏郎
私は近代ドイツ文学、思想をおもなフィールドとして研究を行ってきました。このように言うと、なぜ文学や思想(などというケッタイなもの)を研究するのか、それもなぜドイツなのかと訊かれて、言葉に詰まることがよくあります。その理由をここで改めて、「時に沿って」語り起こすことができればよかったのですが、あいにく語るに値するようなウマイ体験は無く、大学の第二外国語でとくにこれという理由もなくドイツ語を選択し、そこから書棚に並ぶ過去のテクストが持つ強度に、魅惑されたり打ちひしがれたりするままに、このような道を進んできました。
なかでも強い興味のもとで研究を進めてきたのが、フリードリヒ・ヘルダーリンというドイツの詩人と、彼に関心を寄せてきた思想家たちの織りなす言説です。詩は難解な真理そのもののような言語に凝固し、哲学はその解読によって詩的真理そのものになろうと欲する。私の考えでは、詩と哲学のこのような共生関係がとりわけドイツにおいて形成され、一つの思想史的系譜ともいうべきものが生み出されました。この関係性を読み解き、それを通じて近代における言語、意識、自我、感情の問題を新しい形で把握することが、私の研究の中核をなす関心事です。ここに含まれる詩人や思想家たちは、それぞれ近代史的、人類史的、神話的、惑星的なスケールのなかで時代意識を先鋭化させてきた一方で、ドイツをはじめとする西欧社会が招いた種々の歴史的厄災の問題、いわゆる政治的なるものの問いにも否応なく巻き込まれてきました。「時に沿って」という言葉は、私自身の貧相な来歴よりも、時代と対決し、対話しつづけてきたドイツ語圏の詩と哲学を連想させ、また私の研究のあり方に自省を迫ってくるように思われます。
前任校の熊本大学では、こうした研究に加えて、国際文化学という新設の研究室に所属し、二十一世紀のメディア、文化状況に応じた研究教育活動にも力を注いできました。知をめぐって目まぐるしく変転していく時代状況に向き合いながら、見せかけの変化には動じず、耐久性のある問いを続けていくことの重要性を、改めて感じています。そして東京大学の駒場は、そのような研究をもっとも速く、鋭く、粘り強く展開してきた稀有な場所だと思います。広島で育ち、大学時代を京都やベルリンで過ごした私にとって、駒場は新天地となります。ここの一員に加わることの意味を噛みしめ、襟を正しつつ、研究と教育に力を尽くしていきたいと思います。
(言語情報科学/ドイツ語)
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