教養学部報
第665号
英語部会主催シンポジウム「AI時代に東大で英語を教える・学ぶ意味」
高橋英海
ChatGPTが話題となり、生成AIがメディアでも盛んに取り上げられるようになったのは二年余り前のことだろうか。生成AIの急速な発展を受けて、語学教育をとりまく環境も大きく変わろうとしている。さすがに学内の同僚のなかにそのようなことを言う人はいないが、学外からは、語学教育はもはや不要である、語学教育に費やす時間を他の科目の学習に使ったほうが有益であるなどという声も聞こえてくる。英語部会としてはこの状況を教養教育における英語教育・語学教育の意義について再考する好機と捉え、去る三月十日に駒場キャンパス18号館ホールでシンポジウム「AI時代に東大で英語を教える・学ぶ意味」を開催した。登壇者それぞれの発表題目および主な発言内容は以下のとおりである。
ダグラス・ローランド氏(グロコミ/英語、「Teaching English in the age of AI: An ESL/NLP/psycholinguistics perspective」)は、AI利用の普及によって学生が事前に準備してきた課題の質がすでに大幅に向上していることを踏まえて、今後は、事前準備なしの場面での即応力の向上や、AIが人間の能力を超える可能性が低い領域に重点をおいた教育のニーズが高まるであろうとの見通しを述べるとともに、ALESS/ALESAなどの英語科目が単に語学力の向上のみを目的とするものではなく、批判的思考やコミュニケーション能力の養成を目指す包括的な教育の場であることを指摘した。
三浦あゆみ氏(言語/英語、「AI時代の英語一列」)は、英語一列(「教養英語」)に関わる教員やTF/TA計九十名を対象に実施したアンケートの結果を紹介する形で、AI時代に東大で同科目を開講する意味・重要性について論じた。「教養英語」の意義はシラバスの「授業の目標」以上に多様だが、今後の方針について検討の必要性があることが指摘されるとともに、現場のスタッフと運営母体である部会の双方において現状に甘んじない、未来志向の努力が必要であることが確認された。
小田博宗氏(言語/英語、「利己的な英語学習─自由・安全保障・ウェルビーイング」)は、AIが人間の知的活動を代替しうる時代においても、外国語学習は人間に認識と行動の柔軟性・多様性、ハルシネーションや検閲といった技術的・倫理的諸問題に対抗する能力、言語による交流によって人と社会をケアする手段を提供するとし、大学教育においても、語学・学問のプロフェッショナルと関わりながらより主体的にかつ自由に語学ができる環境を提供することで、「良き市民を育てる」という公共財としての大学の役割を一層追求することができると述べた。
佐藤光氏(比較/英語、「日本語を通して英語を学ぶ──比較文学比較文化の観点から」)は、自由民権運動家の馬場辰猪や帝国大学で日本語学の礎を築いたバジル・ホール・チェンバレンが、日本の高等教育が日本語で行われることに、文化の自立と国家の独立という意義を見てとったことに言及したうえで、教養教育の一部としての英語教育には、英語と日本語との間を行き来することによって、それぞれの言語の特性を熟知し、異文化理解と自文化理解へ眼を開き、価値観を鍛える場としての意味があると主張した。
英語部会OBで、英語カリキュラムの開発と改善に長く関わってこられた斎藤兆史氏(本学名誉教授、「AI時代の教養英語教育」)からは、その経験を振り返りつつ、現在の駒場の英語カリキュラムは、一九九〇年代の大学設置基準の大綱化と大学院重点化という政治力学によって生まれた部分が大きいが、三十五年の年月を経て、改めて教養英語とは何かとの根源的な問いとの関連で議論されるようになったのは喜ばしいことであるとの発言をいただいた。
シンポジウム後半の全体討論では、英語部会以外の外国語部会を代表して原和之氏(地域/仏語)と渡邊日日氏(文人/露語)にも発言していただいた。そのなかで、原氏は、異なった言語を語る者を前にして、ひとはしばしば不安に陥り、これを「野蛮」と蔑むことで身を守ろうとしがちであるという状況のなかで、AIは一つの解決をもたらしてくれるかもしれないが、そこには寡占・独占の危険もまたあることを指摘したうえで、語学教育の場で、外国語のままならなさに直面し、これを習得するという形で乗り越える経験は、今後も変わらず重要であり続けるであろうとの見解を述べた。
渡邊氏は、第一言語とは異なり、比較的平易な内容のテキストでも読みにくい他言語のテキストを前に、理解しようと思考を無理に拡張せざるをえないというプロセスを通じて、ふだんであれば考えないことを考えさせられる状態になるということが語学教育の中身であり目的でもあることを強調するとともに、多くの学生にとって比較的勉強が進んだ英語以外の言語の学習が、大学における学びのなかで特に重要になると指摘した。
今回のシンポジウムでは、教養教育の中核を成す語学教育の意義と役割について有益な意見交換の場を設けることができた。ただし、これで議論が尽くされたわけではない。今後も議論を重ね、その成果を新時代の英語教育・語学教育カリキュラムの構築に反映させていく必要がある。その際には、本報読者である教養学部構成員・関係者諸氏にも、幅広く、建設的な意見を頂戴することができれば幸いである。
(地域文化研究/英語)
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