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令和2年度 入学式 教養学部長式辞(令和2年4月12日)

 新入生の皆さん、そして新入生をこれまで支えてこられたご家族の皆様、東京大学へのご入学おめでとうございます。東京大学の教員として、新入生の皆様を最初に受け入れる教養学部の教職員を代表して、心よりお祝い申し上げます。

 今年は新型コロナウイルス感染症の影響により、入学式が大幅に縮小されました。本来ですと両国国技館でこの式辞を皆さんにお伝えする予定でした。そのために原稿を用意していたのですが、残念なことに新型コロナウイルス感染症のために、すべて書き直しになってしまいました。

 私は分子生物学を研究していますが、今世界を震撼させている新型コロナウイルスSARS-CoV-2は、いくつかのタンパク質と一本鎖のリボ核酸でできた小さな粒子に過ぎません。それ自身で増えることはできず、人間などの細胞に侵入し、その働きを利用してようやく増殖することができます。このようなちっぽけなウイルス粒子によって、今人類社会は大きな危機にさらされているのです。

 新型コロナウイルスによるパンデミックは、人と人との対面的接触などを利用して人から人に容易に感染し、増えていきます。まだ決定的な治療法やワクチンはできていません。そのため、感染拡大を防ぐために、世界各国で「social distancing(社会距離戦略)」という方法が取られています。この戦略は、人と人との物理的距離を増やしたり、行動を制限したり方法ですが、そのような中世さながらの方法しか、防御法がないのです。

 社会的距離戦略は大きな副作用があります。人類社会は、人と人との接触や交流をベースに発展してきました。社会的距離戦略を実施するとその基盤を毀損してしまうわけですので、社会・経済・文化・教育など、あらゆる人間の活動がやりにくくなります。感染症対策を厳しくすればするほど、人と人との物理的な結びつきが弱められ、影響もより甚大になります。

 教育も大きな影響を受ける人間活動の一つです。教養学部では、ガイダンスをはじめ、上級生や卒業生・東大校友会などと下級生の交流のプログラムを準備してきました。また、初年次ゼミやアドバンスト理科などの新しいタイプの授業や、国際研修・Go global gatewayなどの海外での学びなど、新入生の皆さんに向けたさまざまなプログラムを実施する予定でした。現在のところ、新型コロナウイルスの世界的拡大により、それらのプログラムの多くは中断したり、実施方法を再検討したりするなどの影響が出ています。対面授業は大学教育の基盤でもありますので、一刻も早くパンデミックが終息し、これらの活動を再開し、また皆さんと教室で顔を合わせた授業を始めたいと考えています。

 しかしながら、新型コロナウイルスのために、皆さんへの教育を止めるわけには生きません。教養学部では今回、基本的に実習や体育実技を含む全授業をオンラインで提供することにしました。これは、東京大学はどのような状況においても、教育を可能な限り学生に届けたいと考えたからです。これからそのオンライン授業が始まるわけですが、教職員・学生双方にとって東大始まって以来の大きな挑戦です。この危機は教職員の力だけで乗り越えることはできません。皆さんと一緒に工夫しながら良い授業を作り上げていきたいと考えています。

 社会距離戦略を取ると、学生同士、あるいは学生と教員のコミュニケーションが取りにくくなると考えられます。しかし、中世ヨーロッパで猛威を振るったペストの時代とは異なり、ネットによるコミュニケーションが可能な時代です。ネットを介して人と人との関係性を深めていくことで、社会距離戦略の弊害がある程度軽減できるはずです。地球上の生物の歴史を見てみますと、生物は多くのピンチをチャンスに変え、持続的に発展してきました。このピンチを是非チャンスに変え、テクノロジーを取り込んだ新しい交流の仕方を作っていきましょう。

 しかし、ネット社会には良い面だけでなく、負の側面があることも忘れてはなりません。今回のパンデミックに限らず、ネット上にさまざまなデマやヘイト、扇動的な発言が流れ、それに伴う買い占めなどのパニックが起きています。このようなときこそ、自らの知識を総合して現状を理解し、多様な価値観を尊重しつつ、批判的に物事を分析する力、つまり教養が求められると思います。

 教養を英語で表すとLiberal artsといいます。リベラルというのは「解放」とか「自由」という意味で、「人間を解放する学び」と捉えることができます。教養学部での学びというのは、この人間の解放を目指すものです。人類の知的活動を幅広く自ら学び、物事の本質を洞察するための普遍的な方法論や批判的な分析力、そしてそれらを活かして新たな領域に挑戦し、適切な問題を設定して解決にむけた決断のできる人材の育成を目指しています。つまり真の自由を得た人材の育成を願っているわけです。

 何のために教養を身につけるのでしょうか。東京大学のロゴの横には「志ある卓越。」と書かれています。教養を身につける中で、とても重要なことがこの「高い志」を持つことです。教養学部を東京大学に創設した一人である矢内原忠雄第16代総長も、教養教育の目標の一つに「人格の陶冶」を挙げています。"I have a dream."という説教で有名なマルチン・ルーサー・キング牧師は、差別やヘイトを乗り越え、アフリカ系アメリカ人の公民権獲得をもたらしました。キング牧師は、「教育の究極目標は知性+品格である」と述べました。

 キング牧師はまた、"Darkness cannot drive out darkness; only light can do that. Hate cannot drive out hate; only love can do that."(「暗闇は暗闇を追い払うことはできない。ただ光だけができる。ヘイトはヘイトを追い払うことはできない。ただ愛のみができる。」)と語っています。長年アフガニスタンで難民を救うために灌漑事業などに関わり、昨年銃弾に倒れた中村哲医師も、こう語っています。「私が学んだのは、高い理想で結び合うより、共通の敵を仕立て上げる結束の方が、はるかに容易だという人間の病理である。敵は、実は我々自身の心の中にある。強い者は暴力に頼らない。最終的に破局を救うのは、人間として共有できる希望を共にする努力と祈りであろう。」

 新型コロナウイルス感染症は、社会の成り立ちに不可欠な人と人との結びつきを弱めてしまいます。しかし、お互いに近づくことはできない苦境の中にある時だからこそ、私たちは希望と愛によって連帯する必要があるのではないでしょうか。離れた場所からでも人を思いやったり、愛情を持って寄り添ったりすることはできます。皆さんにはこの厳しい状況の中で、そのことを学んで欲しいと思います。皆さんには本学での学びを通じ、多様な他者を尊重し、それぞれが志を抱いて人類社会の幸福のためにその持てる力を発揮し、活躍して頂きたいと思います。このような苦難の時代ですが、その苦難が皆さん方を一層磨き上げ、大きな志をもってこの人類社会に貢献できる人物に成長することを祈念いたしまして、私のお祝いのことばといたします。

東京大学教養学部長 太田 邦史


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