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令和6年度 東京大学学部入学式 教養学部長式辞(令和6年4月12日)

東京大学に入学された皆さん、ご入学おめでとうございます。
これまで皆さんを支えてこられたご家族、ご関係の皆様にも、教養学部の教職員を代表し、心よりお祝いを申し上げます。
皆さんは、東京大学に入学して、まず前期課程を駒場キャンパスにある教養学部で過ごします。
教養学部は、1949年5月31日に新制東京大学の発足と同時に設立されました。つまり、この5月末で75周年を迎えることになります。前身である旧制第一高等学校の歴史と校舎を受け継いでいて、旧制一高のさらに前身の東京英語学校から数えれば、今年で150周年という節目の年を迎えることになります。併せて心よりお慶び申し上げます。

皆さんの中には、東京大学という最先端の研究が行われている大学に入学したのだから、早く専門領域の研究に取り組みたいと思っている方も少なからずいるでしょう。そこで、「なぜ東京大学は学士課程を前期、後期に分けているのか」、またこれと関連して、「教養とは何か」、 そして、「皆さんに、二年間の前期課程をどのように過ごしてほしいか」について、私が思っていることをお話したいと思います。
まず、「なぜ東大は学士課程を前期、後期に分けているのか」について、私なりの考えを共有したいと思います。
以前、私は、クラスの学生を集めて面談をしたことがあります。その際に、「将来どの学科に進学し、そのあとどうしたいと思っているのか?」という、未来の自分の姿を語ってもらいました。まだ、入学直後の学生たちでしたが、私が感じたのは、自分の将来を具体的に語るのに必要なボキャブラリーが残念ながら不足しているということです。少なくとも、一年後の進学選択までには、自分がなりたい姿、敢えて言えば「夢」でしょうか、それを具体的に活き活きと語ってほしいと思っています。その意味では、前期課程を、「自分の夢を語るためのボキャブラリーを育む時間」にしていただきたいと思います。

初代学部長の矢内原忠雄先生は教養学部前期課程の理念について、「ここで部分的専門的な知識の基礎である一般教養を身につけ、人間として偏らない知識をもち、 またどこまでも伸びていく真理探求の精神を植え付けなければならない。その精神こそ教養学部の生命である」と述べています。
矢内原先生の言葉に込められたメッセージを言い換えれば、前期課程の2年間は、敢えて偏よりなく知識を吸収しよう、それこそが、そのあと無限に伸びていく真理探求の精神の根幹になるのだ、ということでしょう。皆さんが目指していく専門分野が、他の分野とどう関連しているのか、またそれは社会や世界とどのようにつながっているのか、そして皆さんが情熱を傾けていくものとして適しているのかを冷静に見定める。そうして「夢を語るためのボキャブラリー」を育んでください。

次に、「教養」とは何でしょうか。
本学名誉教授で、過去に教養学部長も務められたフランス哲学者の石井洋二郎先生は、教養教育について、「文理の枠組みを超えて、既存の知識、経験、思考の限界から解放し、固定観念や先入観にとらわれない、自立した批判的思考ができるような教育である」と述べています。さらに、「あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること、この健全な批判精神こそが、「教養」というものの本質なのだ」とも述べています。教養とは知識の束ではなく、能動的な動きを伴うべきと、私も考えています。
「理論的には正しいけれども、現実はそううまくはいかない」という経験はないでしょうか?いったいなぜそのようなことが起こるのでしょうか?理論は、何らかの前提や明確な条件の上に成り立っているものが多いです。一方で、理論が一度構築されると、前提や条件が忘れられて、あたかもどこでも無条件に成り立つと思い込んでしまうこともあります。ですので、実際にそれを行ってみると、理論的に予測されたものの通りにはうまくいかないということになります。
まず何かを学び知識を得ること、そして実践して検証することが、教養につながると考えています。理論と実践が両輪として機能していることが重要です。知識を蓄えるだけではなく、能動的に実践すること。それが、「夢を語るためのボキャブラリー」をつくります。

最後に、「皆さんに二年間の前期課程をどのように過ごしてほしいか」についてお話しします。
本日入学式という節目を迎えた皆さんは、お正月の箱根駅伝に例えれば、苦しい箱根の山登りを越えて、芦ノ湖で往路のゴールを迎えたくらいの思いかもしれません。ただ、人生100年とすれば、まだ2区の戸塚の中継所で、比較的良い順位でタスキを渡したくらいで、まだまだこの先にどのような展開があるのか、全くわかりません。世の中は「VUCAの世界になった」と言われています。Volatility (変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity (曖昧性)です。いまここを飛んでいるものが、一年後に同じ軌道の延長線上を飛んでいるのか、予測できない時代に入ってきています。 情報技術が急速な進化を遂げつつあり、例えば生成AIがプレゼン資料くらいならば短時間に作ってしまう時代がすぐそこまで来ていると言われています。

本学の名誉教授で経済学者の伊藤元重先生が次のようなことを語っています。「「働く」という言葉には「レイバー」、「ワーク」、「プレイ」の3種類がある。産業革命による機械の発達で、人は過酷な肉体労働であるレイバーから解放され、機械を操作するワークを得た。しかし、レイバーを失った労働者は怒り、機械を打ち壊した。現在、日本を含む先進国ではワークが失われかけている。産業革命がレイバーを奪ったのと同じように、技術革新やグローバル化がワークを奪っている。だからと言って、ワークをもう一度作ることが、我々のやるべきことなのだろうか。」
伊藤先生の指摘の通り、機械を動かすだけのワークや組織を管理するためのオフィスワークは、AIの進化やビジネスの革新によって減少していくでしょう。こう言うと、技術の進化が人々から仕事を奪ってしまうように聞こえますが、そうではありません。レイバーがワークに変わったように、新しい働き方が生まれていくということなのです。

そして、その新しい働き方が「プレイ」だといいます。音楽アーティストやスポーツ選手はプレイヤーと呼ばれますね。企業でも、たとえば「マネージャーとプレイヤー」という言い方などで、働く人をプレイヤーと呼ぶことがあります。「遊ぶ」ということですが、ただ遊んでいるわけではなく、人間にしかできない創造的な営みを行っているということが本質でしょう。これからは、「ワークはできるだけAIに任せ、私たちはプレイしよう」「人間にしかできないことに取り組もう」、そういう世界になっていくでしょう。AIに、自由を創り出してもらう。その自由をつかって、存分にプレイし、価値の創造に挑戦しましょう。
東京大学の教員は、研究者でもあります。そして、研究者は皆、プレイヤーです。研究者がプレイする原動力として、「なぜ研究をしているのですか?」と問われれば、おそらく全員「楽しいから」というのが本音だと思います。 この年まで、楽しい研究をプレイし続けてこられたのは、幸せなんだろうと思っています。まさに論語にもある、「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」です。 皆さんにも、楽しいという感情を常に追い求めて欲しいと思います。
そしてそれが、私が考える、「皆さんに二年間の前期課程をどのように過ごしてほしいか」とつながります。 それは「よく学び、よく遊べ」です。ここで言う「よく遊べ」の「よく」には、「たくさん」とか「効率的に」ではなく、「深く」という意味を持たせたいと思います。授業や研究でもいいし、部活動・サークル活動でもいい。趣味に時間をつかうこともいいでしょう。友人と何かを体験する。新しい出会いを見つける。自分にとって、何が一番楽しいのか、何をやっていれば寝食を忘れられるのかを見極めてほしいと思います。それが特定の分野の研究や将来の進路につながるならとても素晴らしいですし、逆に、むしろとことん自由で非効率的な遊びであったとしてもよいと思います。

日本でいちばん「よく学ぶ」ということに努力されてきた皆さんだからこそ、日本でいちばん「よく遊ぶ」経験も深めてほしい。それこそが、来るAI時代に最も必要とされている、人間にしかできない創造的な営みをプレイすること、楽しむことの素地を育むのだと思います。

前期課程は「自分の夢を語るためのボキャブラリーを育む時間」です。だからこそ、知識を蓄えるだけではなく、さまざまなことを能動的に実践し体験していただきたい。さまざまなことにチャレンジし、「よく学び、よく遊ぶ」二年間にしてください。始めに申し上げた通り、教養学部は25年後の2049年に100周年を迎えます。皆さんは、この節目となる2049年に向けて、中心となって活躍していく世代です。
そのためにも、教養学部前期課程での皆さんの学びが、実り豊かであることを祈念して、教養学部長としての式辞といたします。



東京大学教養学部長  真船 文隆

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