令和7年度 東京大学学部入学式 教養学部長式辞(令和7年4月11日)
東京大学に入学された皆さん、ご入学おめでとうございます。これまで皆さんを支えてくださったご家族、ご関係の皆さまにも、教養学部の教職員を代表して心よりお祝いを申し上げます。入学された皆さんはすでに新しい生活が始まり、不安と期待が入り混じった思いでしょう。皆さんはすでに今まで多くのことを勉強してきました。そして大学は今まで以上に奥深い学びが可能な場です。それは自由であると同時に自主性と自らを律する精神が求められることでもあるのです。空の広さを満喫しつつも、自分がしたいことが何であるかを考え、そしてただやりたいから行動するのではなく、どのように行動するべきかを深く考えながら大学生活を楽しんでほしいと思います。
東京大学では入学してからの二年間を駒場Ⅰキャンパスの教養学部で過ごします。この前期課程からのメッセージとして本日は多様性についてお話をしたいと思っています。
もっとも大上段に構えるのではなく、身近なことから話を始めたいと思います。わたくしは冒頭に「不安と期待」と述べました。人はなぜ不安に思うのでしょう。心理学の専門家であれば深い知見をもとに詳細に理由を教えてくれるでしょうが、心理学を専門にしていないわたくしにとっては、それは知らないことがあるからなのではないかと思います。そして未知のことが既知のことになったとき、安心感を覚えます。ところで、皆さんの中には引っ越しをしてこの4月から学び舎に通っている人もいることでしょうが、わたくしもこの東京大学に勤め始めたとき、それまで住んでいたフランスのパリから引っ越して東京で暮らし始めました。小さなアパートを借りたときに、わたくしはたいへんな不安を覚えました。薄っぺらいいかにも防犯の役に立たなさそうな鍵を渡されたからです。フランスでは鍵は大きく重たいものです。そんな鍵が最低3つないと泥棒に入られても盗難保険がききません。勤務先でも入り口、オフィス、ロッカーと鍵がいくつも必要ですから、たくさんの鍵のついたずっしりと重たいキーホルダーを持ち歩くのが普通です。そんな国から日本に来て、自分の身を守るはずの鍵がいかにも頼りなさげなので、思わず不動産業者の人に「こんな鍵では鍵がかかっていても3分で開いてしまう」と苦情を言ってしまいました。そうしたらその人は「何を言ってるんですか、この鍵だったら3秒もかかりませんよ」と言うではありませんか。仰天しているわたくしに、土地に詳しいこの業者の人は、この辺りは近所づきあいも深くて、泥棒は入らないから大きな現金を家に置かなければ大丈夫、と説明してくれました。わたくしは「それなら安心」と思ったわけではなかったのですが、フランスと日本とではセキュリティの概念が違うと感じたことを思い出します。
知らない考え方、未知の知見がわたくしたちには数多くあります。不安になることも日常茶飯事です。そのようなときに、自分の知見や価値観だけで判断するのではなく、他の人の話を聞くことは大切です。またさまざまな本を読み、学び、その知見をめぐって議論をすることがその知見の理解を深めてくれることを経験上知っています。その例を一つ挙げたいと思います。10年前の2015年にフランスで起こったパリ同時多発テロ事件です。ここにおられる皆さんのほとんどがまだ子供の頃に起こった事件ですから、詳しいことを知らない方も多いと思います。130人の死者と400人を超える負傷者が出たこの事件は、11月のカフェで宵のひとときを過ごしていた人たちやロックコンサートに集まった観衆を無差別に襲ったテロ事件でした。フランスは伝統的にはカトリックの国です。そのフランスをイスラム過激派のテロリストが襲撃したのですが、同じ年の1月にジャーナリズムを襲ったやはりイスラム過激派によるテロ事件の「シャルリ・エブド事件」のこともあって、宗教の違いによる不寛容の精神と、イスラム教徒が多い移民について議論が起こりました。この時、多くのフランス人が手に取った本があります。18世紀のフランス人作家・思想家であるヴォルテールの『寛容論』です。この『寛容論』を生んだきっかけとなった事件が、カトリックとプロテスタントの対立ゆえに起こった「カラス事件」と呼ばれる事件です。実の子を殺害した容疑で父親が逮捕されて、処刑されたのですが、狂信的な宗教心と差別意識が背景にある冤罪事件でした。ヴォルテールは被告の名誉回復を図って本書を書いたのですが、それは偏見と狂信を糾弾し、人間理性への信頼と、寛容であることの価値を説いた書だったのです。
大きな犠牲者を出した未曽有の事態に不安を覚える21世紀のフランス人の心に、18世紀の思想家の書が響いたということに、驚きを覚えます。異なる時代のものであっても、他者に対する不寛容な精神を考察する言葉に耳を傾けようとする気持ちの表れなのでしょう。フランスには移民が多く、異なる宗教や文化をもってフランスで生活しています。多様な社会を認めて、自分とは異なる人を排除しようとする考えをどのように理解したらよいのかを、人々が探り、そして議論したのです。
多様な社会にかかわる考察はフランスだけで実現しているわけではありません。アメリカでも日本でも進められていて、さまざまなレベルでの議論があることは皆さんもメディア等で触れていることと思います。ただ、メディアだけではなく、メディアでは決して多くは取り上げられないような学術の議論の場があります。さきほどのパリ同時多発テロならば、たとえば本学駒場Ⅰキャンパスで開催された「駒場で考える<シャルリ>以降の世界」というシンポジウムもその一つでした。大学で学ぶ皆さんは、そのような学術の議論の最前線に直接触れることができます。学びを深めるためには議論が必要です。ぜひそのような機会に積極的に参加してほしいと思います。
さて、冒頭に話したわたくしの小さなアパートですが、住み始めてみると、不動産業者の人が話してくれたように、ご近所の人との付き合いがあって、挨拶や会話を続けているうちに、お互いに安全を確認し合っているような生活になっていきました。アパートの鍵は頼りない小さな一つの鍵のままですが、ご近所さんとのつながりの輪が広がることで、目に見えないいくつもの鍵が手に入ったような気がしています。そのことに気付いたときに、わたくしは今一度セキュリティの考え方の違いを感じました。ご近所の人はみんなが同じ価値観を持っているわけではありません。しかし、会話をし、人間関係を深めることで、自分が知らなかった多様なものの見方や知見に触れることができています。そのことでさまざまな不安がなくなり、安全安心が生まれていることを感じます。むろんそれだけでほんとうに盗難の被害に遭わないかどうかは分からないのですが、わたくしがフランスで持っていた価値観とは異なる仕組みがそこに働いていることを理解することができたのだと思います。
学びと対話を通じてさまざまな価値観の間を往復することは、目に見えない多くの鍵を手にすることです。大学が奥深い学びの場で、自由であると同時に自主性と自らを律する精神が求められることを冒頭に述べましたが、自主的かつ自らを律する学びには、逆説的に他者とのダイナミックな関係の構築が必要で、そのことにより自分ひとりでは到達できない広い知のあり方が身につくのです。多様な考え方に開かれた心を涵養し、教養学部前期課程の教育をきっかけに本学で目に見えない多くの鍵を手に入れてほしいと願って、教養学部長としての式辞といたします。
東京大学教養学部長 寺田寅彦