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最終更新日:2024.03.26

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トピックス 2015.06.24

【研究発表】物質科学における残された謎~スピン液体状態~の候補となる新有機物質を発見

1. 発表者

名城大学農学部 吉田幸大助教, 齋藤軍治教授
京都大学理学部 前里光彦 准教授
理化学研究所 是常隆 上級研究員
東京大学総合文化研究科 堀田知佐 准教授

2. 発表のポイント

♦今回発見した新物質は, 1次元に近い格子の形状をしており, 低温まで従来のスピン液体候補物質と非常に類似した挙動を示します。
♦第一原理計算を中心とする理論解析と実験データが非常に良い一致を示したことから、理論研究に欠かせない物資パラメタの解明に成功しました。
♦スピン液体候補物質は現在、わずか数個しかなく、フラストレーション効果の強い三角格子, カゴメ格子, ハイパーカゴメ格子などの構造をもつ物質にかぎられていました。今回の新たな幾何学的形状の物質の発見により、スピン液体状態やその周辺にまつわる研究の発展に期待がかかります。

3.発表概要

名城大学農学部吉田幸大助教、京都大学理学部前里光彦准教授ら実験グループは、理化学研究所の是常隆上級研究員、東京大学大学院総合文化研究科の堀田知佐准教授ら理論研究者と協力し、κ-(BEDT-TTF)2B(CN)4という新しい有機物質の合成とその低温での電子状態および磁気性質の解明に成功しました。このκ型の有機物質は、低温でモット絶縁体という電気の流れにくい状態になることが知られています。この状態では、電子が各分子上の軌道に固まって2次元格子状に並びます。電子はスピンという磁性に寄与する自由度を持っており、通常は物質を冷やしていくと, このスピンが同じ方向に並び、磁性を発現します。ところが今回の物質は, 低温まで非磁性状態をたもち, さらに温度5Kで別の非磁性状態に相転移を起こすことが明らかになりました。また、磁化率の測定結果を解析して得られたモデルパラメタと、第一原理計算という恣意性を含まない計算結果から得られたモデルパラメタが非常に良い一致を示し、物質が1次元に近い大きく歪んだ三角格子の構造を持つことがわかりました。もともと等方的な三角格子系は、絶対零度まで磁性を示さない量子力学的にも非自明な「量子スピン液体」と呼ばれる状態が出ると期待されていました。しかしこれまでこの量子スピン液体状態の候補物質は2,3個しか見つかっていません。今回の物質は、1次元性が強いにもかかわらず低温で他の量子スピン液体候補物質と非常に似た物性を示し、さらに低温でvalence bond crystalという別の非磁性状態に転移することがわかりました。このような1次元性の強い2次元物質における量子スピン液体とvalence bond crystalの競合は理論的にもまだ未解明であり、今後の研究に期待がかかります。 なお本成果は、名城大学齋藤軍治教授グループを中心とする、名古屋大学理学部清水康弘講師、工学部伊東裕准教授、岸田英夫教授ら実験の研究者との共同研究によって得られたものです。

4. 発表内容

水を冷やすと、水分子の熱運動が抑制され分子間の相互作用が有効になるために、摂氏0度で秩序化して氷になります。物質内の電子のスピンの場合も同様に、温度を下げるとスピン間の磁気的相互作用のために磁気的な秩序をもつ状態へと転移します。しかし、隣り合う電子スピンが反平行に揃おうとする磁気的相互作用を持つスピンを正三角形の各頂点に置いた場合には、全てのスピン対を反平行に揃えることができず、幾何学的フラストレーション(注1, 図a)が生じて、極低温まで秩序化しない「量子スピン液体」状態が形成されることがP.W.Anderson(1977年ノーベル物理学賞)によって理論的に予想されていました。量子スピン液体状態を示す物質の探索、および量子スピン液体そのもの正体の理論的な解明は、その後40余年たった今も物質科学の重要な一テーマであり続けています。

今回、実験グループでは、κ-(BEDT-TTF)2B(CN)4という新しい有機物の単結晶(図b)を電解酸化法により合成し、磁化率や伝導率、核磁気共鳴測定などの測定を行いました。特に静磁化率の温度依存性から算出した三角格子の2種類のスピン間相互作用(J', J’)の比J’ '/J ~ 2.0-3.0 (温度に依存する) は、結晶構造を基にした第一原理計算結果による相互作用の値 (実際には平方根である遷移積分の比t'/t ~1.44-1.8=J’ '/J) と非常によい一致を示すことが明らかになり、この物質を理論的に調べるための重要な手掛かりを得ることができました。この構造は、BEDT-TTFのペアをユニットとする少し歪んだ三角格子に相当しています(図c)。さらに、この物質は低温の5K(摂氏マイナス268度)で、量子スピン液体的な状態から、valence bond crystal状態とおぼしき状態に相転移します。実はもともと、P.W.Andersonの理論的描像では、量子スピン液体とは、スピンがシングレット(注2、図3(a))と呼ばれる量子力学的なペアを組んで、そのシングレットが液体のように物質中をふらふらと動き回る状態でした。valence bond crystalとは、このシングレットが規則的に並んだ固体の状態ととらえることができ(図3(b))、今回の相転移は、シングレットの液体から固体への転移とみなすこともできます。このような相転移の研究は現在理論的にも重要なトピックスの一つです。特に、今回の発見で、関連する物質群のモデルパラメタの相図を描くことができました(図2)。このような系統的な物質研究と新しい物性の発見は、今後の分野の研究にとって重要な足掛かりとなることが期待できます。

掲載雑誌名Nature Physics(オンライン版公開日:2015年6月8日)
論文タイトルSpin-disordered quantum phases in a quasi-one-dimensional triangular lattice
著者Y. Yoshida, H. Ito, M. Maesato, Y. Shimizu, H. Hayama, T. Hiramatsu, Y. Nakamura, H. Kishida, T. Koretsune, C. Hotta and G. Saito
URL http://dx.doi.org/10.1038/NPHYS3359

5. 問い合わせ先:

東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻 准教授 堀田知佐(ほった ちさ)153-8902 東京都目黒区駒場3-8-1
TEL/FAX 03-5454-6988
Email: chisa[at mark]phys.c. u-tokyo.ac.jp (メールアドレスの[at mark]は@に置き換えてください)
HP: http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/HOTTALAB/index.html

6. 用語解説

注1:幾何学的フラストレーション
一般に物質中でスピンを格子の上に並べると隣同士のスピンは反対方向を向きたがることが多くあります。すべての隣り合うスピンが反対方向を向けばこれは反強磁性と呼ばれる磁気的な秩序状態です。ところが三角形の頂点にスピンを並べると図1(a)のように3つすべてが反対方向を向くことはできません。このように、1つ1つのスピンがどれも理想的な配置をとることができない現象を「幾何学的フラストレーション」と呼びます。

注2:シングレット
物質内では注1で述べたような三角形をユニットとする三角格子が形成されており、この格子点上のスピンすべてが思うような配置をとれないために、いっそのこと磁性(スピンの矢印)を消してしまったほうが、都合がよくなります。そこでスピンがペアを組んでペア内で矢印を消した状態がシングレットです(図3(a))。シングレットが規則的に並んで固体状態となったものがvalence bond solid(図3(b))と呼ばれます。このとき格子が縦方向に歪んでシングレットを組むスピンの距離が小さくなった状態のことをスピンパイエルス状態と呼びます。今回の物質では5K以下でどちらが実現しているかは今のところ明らかになっていません。

 

図1
(a) 正三角形の各頂点に電子スピン(赤色矢印)を置いたとき、全てのスピン対を反平行にはできない。(b) (BEDT-TTF)2B(CN)4単結晶の顕微鏡写真(方眼紙の目盛は1ミリ)。(c) (BEDT-TTF)2B(CN)4結晶中でBEDT-TTF分子のペアを単位とする三角格子構造を形成している。各分子ペアは電子スピンを1つずつ持っており、2種類のスピン間磁気的相互作用(J, J’)の大きさによって、三角格子のスピン幾何構造な異方性が決定される。

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図2
今回同定された物質のモデルパラメタをもとにした相図。横軸は遷移積分tの三角格子上の異方性の度合いであり、t=t’ のときが正三角格子に相当する。またJ’/J~(t’/t)2 とみなすことができる。今回の物質は1次元性が強いt’/t=1.8付近に位置する。縦軸はクーロン相互作用の強さ。従来の理論研究で、正三角格子に近い領域で金属との境目に近い絶縁相内でスピン液体が実現すると考えられている。

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図3
(a)シングレットの概念図。二つのスピンが上下で組み合わさり、非磁性のユニットを組んだもの。(b)シングレットが規則的に並んでできる固体状態の例。今回の物質でも5K以下で是と似た類の状態が実現していると考えられる。格子が変形しない場合をvalence bond solid, 格子の形がひずむ場合をスピンパイエルス状態とよぶ。

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