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最終更新日:2024.03.26

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トピックス 2023.09.21

【研究成果】海洋エアロゾル成分の真の光吸収効率の決定 ――気候変動の予測精度の向上に貢献――

2023年9月21日
東京大学
筑波大学

発表のポイント

  • 海洋エアロゾルに含まれる脂肪酸の光吸収効率を決定することに成功。
  • 「脂肪酸は太陽光をよく吸収する」という90年以上信じられてきた定説を覆した。
  • 気候変動の予測に重要な海洋エアロゾルで起こる光反応の理解に貢献。

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海洋エアロゾルで起こる光反応


発表概要

 東京大学大学院総合文化研究科の齊藤翔大大学院生、寺岡秀将大学院生、沼舘直樹特任助教、小林広和准教授、羽馬哲也准教授、筑波大学数理物質系化学域の江波進一教授らの研究グループは、気候変動の予測に重要な海洋エアロゾル(注1)の未解決問題であった「脂肪酸(注2)の光吸収」について、独自の超高純度精製法を開発することで脂肪酸の真の光吸収を決定することに成功しました。その結果から、これまで考えられてきた仮説には重大な誤りが含まれることが明らかになりました。

 脂肪酸の光吸収は90年以上研究されてきた歴史があり「脂肪酸は太陽光をよく吸収する」と考えられてきましたが、その起源については未だにわかっていませんでした。本研究では海洋エアロゾルに含まれる代表的な脂肪酸であるノナン酸[CH3(CH2)7C(O)OH]について、試薬に含まれる不純物を独自に開発した精製装置により徹底的に取り除いたところ、太陽光をほぼ吸収しなくなりました。つまり、これまでに報告されてきた脂肪酸の光吸収は、実は脂肪酸に由来するものではなく、0.1 %以下というわずかな不純物によって引き起こされていたことが明らかになりました。

 本研究によって脂肪酸は太陽光をほぼ吸収しないことがわかりました。これは海洋エアロゾルに関するこれまでの定説を覆すものであり、脂肪酸以外の物質が光吸収に深く関与していることを示しています。本研究で得たこの新たな知見によって、海洋エアロゾルでおきている光反応の理解が大きく進み、気候変動の予測精度の向上に貢献することが期待されます。


発表内容

〈研究の背景〉
 気候変動は人類が直面する大きな問題の1つです。「気候変動に関する政府間パネル(IPCC: Intergovernmental Panel on Climate Change)」による最新の報告書(第6次評価報告書)では、気候に影響を与える重要因子として「海洋表面から放出されるエアロゾル(海洋エアロゾル)」が挙げられています。海洋エアロゾルは太陽光を散乱・吸収し、さらに雲の素(凝結核)として働くことで気候に影響を与えていると考えられています。しかし、海洋エアロゾルでどのような物理・化学現象がおきているかについては明らかでないことが多く、気候に与える影響力の大きさについては正確にはわかっていません。そのため気候変動の予測精度の向上のためには「海洋エアロゾルの物理と化学」の解明が急務となっています(図1)。

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図1:海洋エアロゾルの光反応と気候に与える影響
海洋エアロゾルに含まれる脂肪酸が太陽光を吸収し、光反応をおこすと考えられているが、本当に脂肪酸が太陽光を吸収するのかについてはよくわかっていなかった。ノナン酸の分子模型は白色が水素原子、黒色が炭素原子、赤色が酸素原子を表している。

 なかでも「海洋エアロゾルに含まれる脂肪酸の光反応」は、2016年にその重要性が指摘されて以来現在に至るまで、活発に研究されています。海洋エアロゾルには生物から排出される脂肪酸などの有機分子が濃縮して存在しており、その割合は質量にして約40 %に達します。例えば、ノナン酸は海洋エアロゾルに存在する代表的な脂肪酸であり、太陽光を吸収し光反応をおこすことで雲の素となる有機分子(アルデヒド(注3)やケトン(注4)など)を生成すると考えられています。

 しかし、脂肪酸(ノナン酸)が太陽光を吸収する理由についてはよくわかっておらず、「海洋エアロゾルの脂肪酸が太陽光を吸収し光反応を起こすのか?」については未解決問題となっていました。 脂肪酸の光吸収については1931年から90年以上にわたり研究されてきた歴史があり、太陽光を吸収する理由についてはこれまでに(1)カルボン酸陰イオンの生成や、(2)環状二量体の寄与、(3)電子スピン禁制遷移の寄与など、さまざまな仮説がこれまで提案されてきました。しかし、その理由については未だに決着はついておらず、脂肪酸の光反応の詳細はこれまで不明でした。(図2)。
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図2:脂肪酸が太陽光を吸収する起源について、これまでに提案されてきた仮説のまとめ
本研究はこれまでの仮説のどれでもなく、試薬中に含まれる微量の不純物によることを明らかにした。


〈研究の内容〉
 本研究グループは、「再結晶法(注5)」、「紫外吸収分光法(Ultraviolet absorption spectroscopy、以降はUV吸収法とする)(注6)」、「核磁気共鳴分光法(Nuclear Magnetic Resonance spectroscopy、以降はNMR法とする)(注7)」とを組み合わせることで、超高純度のノナン酸を精製し、太陽光の波長を含む幅広い波長(190-310 nm)における光吸収効率(吸収断面積、注8)を測定することに成功しました。

 本研究ではノナン酸の精製のために独自の再結晶装置を作製し、嫌気雰囲気(酸素を含まない大気)のもと-28℃という低温条件でノナン酸の再結晶を15回にわたり繰り返すことで、極めて高純度のノナン酸を精製しました。

 この超高純度ノナン酸をUV吸収法によって紫外光の吸収断面積を調べたところ、過去に報告されていた240-310 nmにおける光吸収は再結晶前と再結晶後で大きく異なることがわかりました(図3)。
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図3:再結晶法による(a)精製前と(b)精製後のノナン酸の光吸収効率(吸収断面積)
200 nmから210 nm付近の吸収はノナン酸のカルボキシル基[-C(O)OH]に由来するため、精製前後で吸収断面積に違いは見られない。一方で、240 nmより長波長では精製前後での吸収断面積は大きく異なる。

 海洋表面に届く太陽光の波長は295 nmより長いので、この結果は「脂肪酸が太陽光をよく吸収する」というこれまでの定説は誤りであり、これまでの研究で報告されてきた光吸収は実は脂肪酸ではなく、不純物に由来することがわかりました(図4)。
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図4:(a)太陽光の波長ごとの強度と、再結晶法による(b)精製前と(c)精製後のノナン酸の光吸収効率(吸収断面積)との重なりを表した図
これまで脂肪酸(ノナン酸)は太陽光を吸収すると考えられてきたが、ノナン酸の精製後は太陽光をほぼ吸収しないことが明らかになった。

 さらに本研究では、再結晶前のノナン酸試薬にはどのような不純物が含まれていたのかを調べるために、東京大学大学院薬学系研究科の高感度NMR装置を用いてノナン酸試薬中の不純物を分析しました。その結果、試薬には多種多様な不純物が存在し、そのなかには太陽光を吸収することが知られている「ケトン」が含まれていることがわかりました(図5)。試薬中のケトンの濃度はわずか0.1 %以下とごく微量なものの、これまでの先行研究で報告されてきた脂肪酸の光吸収は、このケトンなどの不純物によるものであったことを明らかにしました。
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図5:再結晶法による(上図)精製前と(下図)精製後のノナン酸のNMR測定の結果
精製前のノナン酸試薬中には多くの種類の不純物が存在し、なかには太陽光を吸収するケトンも含まれていることがわかった。精製後には不純物に由来するピークが消失しており、ノナン酸、アセトニトリル(再結晶法による精製の際に溶媒として使用)、クロロホルム(NMR測定の際に使用)のみのピークが検出された。

〈今後の展望〉
 本研究によって、「海洋エアロゾルの脂肪酸が太陽光を吸収し光反応を起こすのか?」という問題に決着がつきました。これまで90年以上にわたり「脂肪酸は太陽光をよく吸収する」と考えられてきましたが、太陽光を含む240-310 nmにおける光吸収は、脂肪酸そのものではなく、0.1 %以下というわずかな量の不純物が原因であることがわかりました。

 本研究によって初めて決定された光吸収効率(吸収断面積)から、海洋エアロゾルの光反応に関する理解が大きく進み、気候変動の予測精度の向上に大きく貢献することが期待されます。 本研究はさらに海洋エアロゾルの化学や気候変動問題に限らず、光を使った科学実験研究では不純物の影響を評価することが実験結果を正しく解釈するために必要であることを示しています。

〈関連のプレスリリース〉
「液体脂肪酸の光反応による活性酸素の生成――海洋表面やエアロゾル界面の化学の理解に貢献――」(2022/9/8) https://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/news/topics/20220908130000.html


発表者

東京大学 大学院総合文化研究科
齊藤 翔大(修士課程)
寺岡 秀将(修士課程)
沼舘 直樹(特任助教)
小林 広和(准教授)
羽馬 哲也(准教授)

筑波大学 数理物質系化学域
江波 進一(教授)


論文情報

雑誌:Science Advances
題名:Impurity contribution to ultraviolet absorption of saturated fatty acids
著者:Shota Saito, Naoki Numadate, Hidemasa Teraoka, Shinichi Enami, Hirokazu Kobayashi, and Tetsuya Hama*
DOI:10.1126/sciadv.adj6438


研究助成

本研究は、科研費「学術変革領域研究(A)(課題番号:JP23H03987)」、「基盤研究(B)(課題番号:JP21H01143)」、「若手研究(課題番号:JP22K18019)」の支援により実施されました。


用語説明

(注1)海洋エアロゾル
エアロゾルとは大気を浮遊している微粒子。粒径が2.5 μm(マイクロメートル。1 μmは1 mmの1000分の1)以下のエアロゾルのことは、とくにPM2.5(Particulate Matter 2.5)と呼ぶことが多い。エアロゾルのなかでも海洋エアロゾルは波しぶきなどで海洋表面から生成するエアロゾルのこと。海洋エアロゾルは地球でもっとも存在量が多い自然起源のエアロゾルである。

(注2)脂肪酸
炭素(C)の原子が鎖状につながった分子で、その鎖の一端に酸の性質を示すカルボキシ基(-C(O)OH)と呼ばれる構造を持っている化合物のこと。

(注3)アルデヒド
ホルミル基 (-CH=O)を持つ化合物のこと。

(注4)ケトン
カルボニル基(>C=O)を持つ化合物のこと。

(注5)再結晶法
化合物を精製する手法の一つ。対象とする物質を溶媒に溶かし、沸点や融点の差を利用して結晶を析出させる。精製したい化合物を結晶化させると、不純物は結晶に入り込むことができないため選択的に除去される。そのため結晶化を繰り返すことで、高純度な結晶を得ることができる。

(注6)紫外吸収分光法
物質に紫外光を照射し、透過した光を測定することで、試料の構造解析や定量を行う分析手法。波長が190 nmから400 nmほどの紫外光を物質に照射すると、分子内の電子の状態が変化することによる固有の吸収パターン(スペクトル)が現れ、分子の構造に関する情報が得られる。

(注7)核磁気共鳴分光法
分子に磁場をかけつつ電波を照射することで分子の構造を調べる手法のこと。分子に強力な磁場をかけると、分子を構成する原子核のスピンのエネルギー状態がわずかに異なるようになる。そこへ電波を照射すると磁場の影響下にある原子核のスピンのエネルギー差に対応して分子に電波が吸収される。吸収される電波の周波数によって分子中の原子を見分けることができる。

(注8)吸収断面積
分子による電磁波(本研究では紫外光)の吸収の効率を表す物理量。面積の次元を持つ。


―東京大学大学院総合文化研究科・教養学部 広報室―

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