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最終更新日:2024.04.17

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トピックス 2024.04.17

【研究成果】イタリア ソンマヴェスヴィアーナの遺跡発掘の新発見 ――アウグストゥス帝時代の遺構の発見――

2024年4月17日
東京大学

発表のポイント

  • 東京大学が南イタリアのヴェスヴィオ山北麓において実施している発掘調査を通じて、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの別荘である可能性がある建物の一部を発見した。
  • 放射性炭素による年代測定と建物を覆う火山性軽石の理化学的分析の結果、建物は紀元後1世紀前半には確実に機能しており、紀元後79年のヴェスヴィオ山の噴火によって埋もれたことが証明された。また、考古学的な学術発掘調査を通じて噴火罹災遺跡の存在を明らかにしたことよって、この地域は79年の噴火被害が軽微であったという従来の通説に対して一つの反証を提示した。
  • 噴火罹災からその後の復興過程を長期的視点で歴史的に復元することができる学術的な発掘調査は、近年世界で増加しつつある自然災害と人類社会との葛藤と共存という現代的課題を解決へ導く糸口を与えてくれる。

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79年の火山灰の下から出土した土器

概要

 本プロジェクト(東京大学 プロジェクト・ソンマヴェスヴィアーナ)は、東京大学大学院総合文化研究科の村松眞理子教授が代表する研究グループ が、イタリア共和国カンパーニア州ソンマ・ヴェスヴィアーナ市スタルツァ・デッラ・レジーナ地区(図1)に所在するローマ時代の遺跡で実施している発掘調査である。その開始は2002年に遡り、当時、東京大学大学院人文社会系研究科の青柳正規教授(現:東京大学名誉教授)が、東京大学地震研究所の藤井敏嗣教授(現:東京大学名誉教授)らの協力を得て着手したものが現在に至っている。

 2002年以来調査を進めてきた2世紀創建の建物の下から、より古い時期の建物が近年の調査で発見されていた。そして2023年の発掘調査でこの下層の建物が、ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスが終焉を迎えた可能性のある建物の一部であることが判明した。

 またこの建物内部には、噴火時に発生した火砕流などの衝撃によって倒壊した壁体や屋根瓦片などが散乱していた。このことから、従来紀元後79年の噴火の影響が山の南東地域に比べ軽微であったと言われてきたヴェスヴィオ山の北麓地域においても、破壊的な威力を伴った噴火の影響が及んだことが明らかになった。

 さらに、紀元後79年の噴火で破壊された廃墟の一部を利用して2世紀中頃に新しい建物が建てられ、この建物の変遷から、ヴェスヴィオ山周辺地域において「罹災」から「復興」に至る過程をたどることのできる唯一の遺跡であることが明らかになった。これは、大規模な自然災害が頻発する現代において、「防災」から長期的な視野に立った「共災」へという、人類社会の柔軟な対応を模索する上での一つの糸口を示すことにつながると考えている。

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図1 :ソンマ・ヴェスヴィアーナの位置
(GoogleData SIO, NOAA, U.S. Navy, NGA, GEBCOLandsat / CopernicusAirbusに加筆)

発表内容

 ローマ時代のタキトゥスやスエトニウスなどによる歴史書の中に、帝国の初代皇帝のアウグストゥスは、ヴェスヴィオ山の北側に所在した別荘で紀元後14年に息を引き取り、その後その別荘は、彼を顕彰する施設として奉献されたという記述があるが、現代までその別荘の存在が特定されることはなかった。そこでその別荘であるとの仮説のもと、イタリア共和国カンパーニア州のソンマ・ヴェスヴィアーナ市スタルツァ・デッラ・レジーナ地区において2002年より東京大学は発掘調査を開始した。

 この度本研究グループは、理化学的な年代測定・火山学の分析結果を交えて、アウグストゥスが終焉を迎えた可能性がある建物の一部と当該期の遺物を紀元後79年の噴火堆積物の下から発見した。

 2023年の発掘調査で発見した、「窯」状の遺構(通常「浴場」などに伴う施設)から採取した炭化物(分析資料5点)の放射性炭素年代測定の結果、その大部分が紀元後1世紀前半に集中しており、窯がアウグストゥス帝の死後しばらくして使われなくなったことを示した。この点はアウグストゥスにまつわる文献の記載と整合する。

 また、調査した部分においては、「窯」の使用停止の後に使われ方が変わり、1世紀の大型の土器(アンフォラ:図2)が壁に立てかけられたまま出土していることなどから、倉庫のような使われ方をしていたものが、紀元後79年の噴火で壁が倒壊するほど破壊されて埋没してしまったこと が明らかになった。

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図2:壁に立てかけられたまま出土したアンフォラ

 現在までの火山学研究では、ソンマ・ヴェスヴィアーナ周辺地域を初めとするヴェスヴィオ山北麓地域は紀元後79年の噴火に伴う被害は少なく、火山砕屑物の降下範囲外と考えられてきた(図3)。また、事実この地域ではこれまで、紀元後79年の噴火による罹災が明らかになった遺跡が発見されたことはなかった。しかし今回遺跡で採取した火山砕屑物を分析した結果、これらは紀元後79年の噴火の中でもEU(Eruption Unit)3と呼ばれるグループに属するものであることが判明した。EU3はポンペイを壊滅させた火砕流を伴う噴火イベントであり、紀元後79年の噴火の影響が想定よりも広範囲に及んでいることが明らかになった。

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図3:紀元後79年の噴火で放出された火山砕屑物の厚さ分布とソンマ・ヴェスヴィアーナの位置 (赤丸)
(Domenico M. Doronzo et al. (2022) https://doi.org/10.1016/j.earscirev.2022.104072 に加筆)

 アウグストゥス帝期の建物は噴火で壊滅的な被害を受けたものの、2世紀中頃には、まだ地表に露出していたと思われる建物の一部を利用しつつ新しい建物が建造された。ヴェスヴィオ山周辺においてポンペイなど南麓に位置する地域は数メートルの厚さに及ぶ火山性堆積物に覆われたため、中世後期まで復興されることはなかった。しかし、北麓に位置するソンマ・ヴェスヴィアーナでの調査によって、ローマ時代における罹災から復興への過程を初めて明らかにすることができた。このことは、大規模な自然災害が頻発する現代において自然災害と人類との共存という課題解決への糸口を示すことになる。

【東京大学基金「ソンマ・ヴェスヴィアーナ発掘調査プロジェクト」寄付募集開始】
 以上のような成果が認められる一方、昨今の大学研究費の削減傾向の影響はこのプロジェクトの維持にも影を落としつつあり、継続的な研究が難しくなってきています。アウグストゥス帝の事績とローマ帝国のはじまりをたどることができる世界的な考古学遺跡の充実した発掘調査と、国際的に重要な災害考古学研究の実践のために、このたび東京大学基金では「ソンマ・ヴェスヴィアーナ発掘調査プロジェクト」を設置し、皆様からのご支援を募ることといたしました。

 より多くの方々のご支援を賜り、共に人類の歴史の重要な1ページの新たな発見者になっていただきたいと願っております。ぜひご支援のほどよろしくお願いいたします。

■東京大学基金「ソンマ・ヴェスヴィアーナ発掘調査プロジェクト」
https://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt07

<東京大学基金に関する問い合わせ>
TEL:03-5841-1217(担当:井上)
Email :kikin.adm@gs.mail.u-tokyo.ac.jp

発表者・研究者等情報

東京大学 大学院総合文化研究科
村松 眞理子 教授

東京大学
青柳 正規 名誉教授
藤井 敏嗣 名誉教授

研究助成

本研究は、科研費「特定領域研究 火山噴火罹災地の文化・自然環境復元(課題番号:16089101)」(2004~2009)、「基盤研究(B)ソンマ・ヴェスヴィアーナ遺跡発掘の成果と文化史的展望-古代の記憶の回復をめぐって(課題番号:20H01299)」(2020~2023)の支援により実施されました。

―東京大学大学院総合文化研究科・教養学部 広報室―

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