HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報582号(2016年4月 1日)

教養学部報

第582号 外部公開

「現場体験」の力

教養学部長 小川桂一郎

582_01-02.jpg新入生の皆さん、私はまず、皆さんが多くの難関を乗り越えて、このたび東京大学で学ぶ機会を得られたことを、心から祝福いたします。皆さんはこれからの少なくとも二年間を、駒場にある教養学部で過ごすことになりますが、私たち教養学部に所属する教員および職員は、夢と期待に胸を膨らませてやって来る皆さんをお迎えする日を、本当に楽しみにしております。

教養学部において皆さんは、さまざまな授業に参加し、また、課外活動にも勤しむことになりますが、その際に心に留めていただきたいことがあります。それは、「現場体験」の大切さです。私はこれを俗な言い方ですが「生(なま)の体験」と呼び、これに対して書物や画像や音声記録などのいわゆる「メディア」を通して得る体験と、はっきり区別しております。

その分かり易い例として、現在では音楽の演奏はCDやネットを通して聴くことが非常に多いのですが、同じ演奏者による同じ曲であっても、生の演奏を聴くと、その迫力や味わい深さに驚くほどの相違があるのに気づかされるのは、音楽好きの人ならば誰でも知っていることです。

私にはこのことに関しまして、深刻な経験が一つありますので、ついでにご紹介しておきます。私の父は、晩年になって認知症を患ってからは、かつて繰り返し聴いていたお気に入りの曲でさえ、機械で再生したものには反応しなくなりました。
ところが、老人ホームの広間で私がピアノを弾きながら歌を歌ったところ、それまで不機嫌に黙っていた父が、笑みをたたえて、かつての父のように上機嫌で話し始めました。一緒に聴いていた認知症の他の人たちも、生き生きとしゃべり始め、「ふるさと」や「七つの子」などを一緒に歌うこともできました。父は、私が帰るまで、ご機嫌でした。

その一週間後、私は、また同じ人たちの前で歌いました。歌う前は、前回と同じように、誰もが無表情に押し黙っていましたが、歌い始めると、会場の雰囲気が一変し、一曲歌い終わると、不機嫌であった父も、上機嫌でしゃべり出しました。前と全く同じことが起こったのです。

私は、生の音楽のもつ力に圧倒されました。音楽には人の心と心を深く結びつける力がありますが、それが生まれるのは、音楽が奏でられるその現場で、同じ音を聴き、同じ空気を吸い、同じ空気の揺れを、歌い手と聴き手がともに感じるからこそであると実感しました。

「生」が大切なのは、教育の場で行われる授業も同様です。つまり、授業にはその場に出席して直接体験することが極めて大切であるということなのですが、しかし授業における「生」のありがたさは、音楽ほど簡単には分かりません。というのは、授業の主目的が当該分野の知識体系の教授にあるとすると、それには必ずしも授業を受けることが必要とは言えないからです。
たいていの授業は、その内容がすでに本に書かれていますし、簡単に手に入る講義の動画も増えていますので、そのような本や動画を使って勉強すれば、むしろ、その方が授業に出るよりも効率よく学べるかもしれません。そうだとすると、いったいどうして大学では授業が行われるのでしょうか? 少なくとも、なぜ、授業には出席した方がよいといえるのでしょうか?
その理由の一つは、授業で説明を受けた方が理解しやすいことです。一人で本を読んでいても理解できなかった難解な内容が、授業で明快な説明を受けたら、すっと理解できたという経験は、きっと皆さんもおありでしょう。
もう一つの理由は、授業に出席すると、それが担当教員と深い心のつながりが生まれる機会となりうるからです。そのことがよく分かるのは、中高生のときに、ある科目が好きになった理由として、その科目担当の先生が好きだったことを挙げていることです。

東京大学の多くの教員は、それぞれの専門分野の学問の構築に関わってきた研究者です。そのような研究者は、授業においては、単に知識を授けるのではなく、一つ一つの内容について、自身の思いを込めようとするものです。その思いが聴き手に伝わったときに、教員と聴き手の間の心のつながりが生まれます。それが聴き手の間でも共有されることもあります。それこそが、「生」の授業の力であり、大学で授業が行われる意義であると思います。
授業には学生と教員との相性もあり、また、教員と学生の興味のもちかた、あるいは、必要とされる予備知識のレベルの不一致などのために、個々の学生にとって、深く感動できるような授業はごく限られたものになるでしょう。しかし、教養学部では多様な授業が数多く開講されています。その中から、一つでも心に残る授業に出会えたら、それを通して生涯の師が得られることが期待できるのです。

授業以外の活動は、まさに友人との「生」の付き合いです。東京大学の学生には、学業に優れているだけでなく、それ以外の才能にも恵まれた個性豊かな人たちが大勢います。教養学部は、多様で多才な人たちと知り合い、親しくなるのに最高の場です。駒場で育まれた友情は生涯にわたって続くでしょう。
駒場にいる間に、多くの「生」に触れることによって、心豊かな人生の基礎が築かれることを心から願って、皆さんへの歓迎の言葉と致します。

(総合文化研究科長・教養学部長)

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