HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報582号(2016年4月 1日)

教養学部報

第582号 外部公開

学問の入り口

二〇一五年度ノーベル物理学賞受賞 梶田隆章

582_02-01.jpg新入生の皆さん、東京大学への入学おめでとうございます。

教養学部長の小川桂一郎先生から、新入生へのメッセージをとの依頼を受けこの文書を書くことになりました。私自身は東京大学で学部時代を過ごしていませんので、東京大学のことについて的確に言えないことも多いと思います。そこで、私が科学者として経験してきたことをもとに、思いつくままに書いてみたいと思います。思いつくままに書くので、皆さんは私の書くことを全て鵜呑みにする必要はありません。むしろ、そんなことを言うけど独りよがりで間違っているのではないのかと疑って、いろいろな人から話を聞いてみるのが良いかもしれません。また私はニュートリノの観測研究に集中して長くやってきたので、私の経験から言えることが非常に限られていることも知っておいてください。

皆さんが高校時代を思い返せば、与えられた問題を、いかにきれいに無駄なく解いて、正しい答えを制限時間内に導くかが問われていたと気づくかと思います。しかし、学問あるいは科学研究の世界では、答えがあるかどうかわからない、あるいは答えがあるにしてもその答えを誰も知らない、また答えが得られるまでどのくらいかかるかはっきりわからない問題に挑戦することになります。今皆さんはこのような世界の入り口にいるのです。このような学問、あるいは科学研究の世界で求められるのは、答えを得るための論理的な思考、また簡単にあきらめない心かと思います。

例えば、あなたが博士課程に進学したとすると、典型的には三年間で博士論文を書くことになります。博士論文では、新しい学問的、科学的成果があること、すなわち新たな知を生み出すことが求められます。つまり三年かかってもよいから、今まで誰も知らなかったことを何か見つけなさいということです。大学入試とは全く違う世界です。また、私に関して言えば、博士の学位を取得して半年くらいで、大気ニュートリノのデータが予想と違うということに気付き、その後一〇年以上研究を続け、結局ニュートリノ振動というニュートリノに小さい質量があると起こる現象が観測されていたのだと結論することができました。でも、一〇年で解決できたのは幸運だったと思います。同じニュートリノの分野で、太陽ニュートリノの研究を例に取ります。太陽ニュートリノの観測はすでに一九六〇年代にはじまったのですが、当時から観測された太陽ニュートリノの数が理論計算の結果より少ないということが問題になっていました。結局、太陽ニュートリノの観測数が少ない理由はニュートリノ振動だったのですが、このことがわかったのは二〇〇〇年代になってからです。実に三〇年以上の年月がかかりました。この間、世界の研究者がさまざまなアイデアを出して議論をし、またいくつかの重要な実験がなされ、やっと問題が解決できたのです。このような長い年月をかけて真理に近づくことが求められるのです。

さて前の段落で、世界の研究者がさまざまなアイデアを出して議論と書きましたが、このことも重要です。今まで皆さんは個人で試験に挑んで、自分の力で解答を書いてきました。もちろん、自分の力で解答を得ることは重要ですが、あなたの周りの人はあなたが知らないことを知っているかもしれないし、別なアイデアを持っているかもしれません。学問の世界では、多くの学者、研究者が同じ問題を議論し、知識とアイデアを出しあい、協力して問題の解決に向けて進みます。実社会でも同じかと思います。つまり、今後は議論し、協力しながら進むことがすごく重要になるのです。特に私が関わってきた観測研究では、典型的に一〇〇人くらいで協力して観測装置を作り、そして観測、データ解析をしていくことになります。大学生になった皆さんは、議論する力、協力してものごとを進める力を養ってもらいたいと思います。

高校までは問題が与えられて、それを解くことが重要だったかと思いますが、これからは問題や課題そのものを見つけることも重要になってきます。私のことばかりを例に出して恐縮ですが、大気ニュートリノのデータが予想と違うという点を問題としてきちんと認識したことが後にニュートリノ振動の発見につながったと思います。学問や実社会の最先端に立つと、今後どんなことが問題や課題になるかを見抜く力、あるいは予期せぬことに出会ったときにそれをきちんと問題としてとらえる力が必要になります。問題や課題を見つけるという意識を持って、それらを見つける力を身につけてください。

以上、いくつかの点について、私が思うことを書かせてもらいました。今皆さんは大学生として学問の入り口に立ったのです。高校までの勉強とは大きく異なります。大学生の間に皆さんが身につけることは、学問や研究の世界に進むか、実社会で活躍するかに関わらず非常に重要なものだと思います。大学生の時を有意義に過ごしてください。そしてそのような意識を持って大学生活を送る皆さんにとって、東京大学は最高の場所だと思います。期待しています。

(宇宙線研究所長/特別栄誉教授)

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