HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報582号(2016年4月 1日)

教養学部報

第582号 外部公開

東大生×南大生  共同研究の試み

白 佐立

私は二〇一一年に教養教育高度化機構国際化部門(現:国際連携部門)リベラルアーツ・プログラム(以下LAP)に着任して以来、LAPが企画・運営する様々な学生交流プログラムに携わってきた。その一つが毎年一一月に実施している「東京大学一週間体験プログラム(以下体験プログラム)」である。これは中国・南京大学から日本語上級者の学生を迎えて、一週間駒場キャンパスで開講される講義を受講してもらい(駒場の教養教育の体験)、そして教養学部の学生と共にフィールドワークをベースとした学生共同研究をする(東大生との学生交流)という内容である。

この体験プログラムは二〇一〇年より実施しているのだが、学生交流のパートは当初、両校の学生たちがあるテーマについて討論をするという内容であった。しかし初対面の相手と討論をするという交流方式では学生たちの交流が「表面的」なものにとどまってしまっていた。私がLAPに着任してまず取り組んだ仕事は、この学生交流プログラムの見直しであった。学生たちはどうしたらもっと「濃密」な交流ができるのか。いろいろと悩みながら考えた末に、私自身の学生時代の経験を生かすことにした。私は学生時代、建築学専攻で建築史・都市史を勉強してきたが、所属研究室の海外調査に参加した際には、いつも朝から日没まで現地の大学生と一緒にまちを歩き、歴史的建造物のデータを収集し、現地の住民に話を伺い、夕食後は深夜まで自分たちで集めたデータについて現地学生と熱い議論を交わした。まちでは住民に可愛がってもらったり、反対に調査者に対する警戒心から怒鳴られたりもした。現地学生との議論では、お互いの価値観の相違により激しい喧嘩になったこともある。様々な人との濃密なコミュニケーションによって、僅かではあるが、彼らや彼らが生活する「世界」に対するリアルな認識と想像力が培われ、これまでの「常識」が覆されるという鮮烈な経験をしてきた。教養学部の学生たちにもこのような経験を少しでも味わってもらえればという思いと、また目ではなく「足で稼ぐ」情報の重要性を身をもって知ってもらいたいという考えから、フィールドワークをベースとする共同研究を提案し、実施するに至ったのである。「研究」と銘打ってはいるものの、あくまでフィールドワークを通して自身の問題意識を明確にすること、そしてフィールドワークを通じてコミュニケーションすることを目的とした学生交流プログラムという位置づけである。

しかし、一週間という短い期間で自分の既成概念が覆されるようなフィールドワークをすることは容易ではない。というよりもおよそ不可能である。それでも毎年テーマと方法を改善しながら、学部学生の視野が少しでも拡がるような共同研究のプログラムを模索してきた。

昨年の共同研究のテーマは「失われていなかったもの」とした。二〇二〇年の東京オリンピックを控え、都内各地で急速に都市再開発が進行する中で、駒場周辺の生活環境も変貌してきているという問題意識からのテーマ設定である。東大生は自分が普段生活している環境に対する認識を深め、南大生には東京の人が普段生活している場所を通じて「日本」を理解してもらうために、駒場キャンパスを中心とした半径三キロメートル以内の範囲をフィールドワークの対象地域とした。学生たちはまず調査範囲内をひたすら歩く。「ひたすら」がポイントで、最初から学生に調査対象を選ばせてしまうのではなく、まずは歩きながら自分が気になる対象をひろく収集してもらう。人は往々にして自分が見たいものしか見ることができないからである。そして、収集してきた多くの対象を分析し、一体どのような対象が自分たちの目に映った「失われていなかったもの」かを考えた上で、具体的な調査対象を絞り込んでいく。そこから調査対象とその関係者にインタビューを行い、既に失われていそうだけれども、人々の創意工夫や努力など、何らかの理由で今でもなお私たちの生活と関わり続けている者/物のありかたを考えるのである。最終日には研究発表会を開催し、自分たちが調べた対象から見いだされる土地柄や生活環境の特徴を報告し、その結果を冊子としてまとめた(冊子はLAPのホームページ上で公開している)。

今回のフィールドワークでは多くの学生が個人経営の小さな店舗に着目し、年配の経営者にインタビューした。大手チェーンの大型スーパーマーケットやネット通販が主流になった現在、割高で品揃えの少ないお店がなぜ存続しているのか、というのが学生たちの共通の疑問であった。そして実際彼らがインタビューをしてみると、いくつかの理由が見えてきた。例えば淡島通り沿いの自動車販売修理店の中村さんの場合、「妻の実家で獲れたミカンを取引先に配って回るなど、昔からの縁を保つための工夫は欠かさない」こと、また駒場商店街の駄菓子屋の老主人は「飲み物と食べ物、そして甘いものと酸っぱいものをちゃんと区別して、子供の好みに基づいて並べている」などなど。これらは経営上の「当たり前」の工夫ではあろう。だが、学生たちが実際にまちの人々に会って教えてもらったことの意味は大きい。ネットや新聞などを通じた〈冷たい情報〉ではなく、自身の体験に基づいた〈温もりのある知識〉となるからであり、そこには相手の表情が備わっているからである。

この小文では東大生と南大生の議論やまちでの発見はとても紹介し尽せない。学生たちの調査対象の中には読者諸賢がこれまで見過ごしてきた場所もあるだろう。駒場周辺を散策したくなること請け合いなので、是非LAPのホームページで彼ら・彼女らの調査記事をまとめた冊子をご覧ください。

(教養教育高度化機構/国際連携部門)

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