教養学部報
第597号
送る言葉「無条件に」
森元庸介
鈴木啓二先生のことを思うと、アレグロ・アッサイという速度指定のことが思い浮かぶ。速く、いや、もっと十分に速く。先生はそんなふうに自身を急き立てるように書き、話し、歩んでこられた。
先生の人となりに触れた誰しもがきっとそのことに同意してくれるはずだが、いま、わたくしが思い浮かべるのは、大学院時代の学生として幾度もその機会を得た、研究指導の光景である。ドアを開けた瞬間、先生の顔色で大勢は即座に判明する。少しでも進捗があれば、満面の笑顔で迎えてくれた。逆に、笑顔の不在は、ただちに厳しい判断を意味していた。本人はポーカー・フェイスのつもりだったろうけど、誰にでもできる天気予報みたいだったよね、先日、同門の若い友人とそう頷き合ったところだ。ただ、その日の空模様に関わらず、矢継ぎ早の質問が飛来してくることには変わりない。この事実は? その文献は? やがてこちらが逃げ口上を並べ始めるや、微苦笑とともに「そう、じゃあ、次の日程は……」と提案がなされ、面談は終わる。
速度ゆえの緊張はあったが、圧迫を感じたことはない。拙い譬えだが、それは、指導の場面における先生がフランス語文法でいう条件法の濫用を斥け、直説法の精神を徹底されてきたからでなかろうか。「これはよく気づきましたね」、「そこはちがうかな」─犀利で鮮明な指摘がつづき、「ここをもっと掘り下げてほしい」と、そのつど正確な結論が出される。「こうしてみればこうなるかもしれないのに……」と言葉が濁されたりしないから、逆風であっても背を押してもらっている、という信頼そのものには曇りがなかった。
だからこそ、自身の研究がすっかり袋小路に入り、そもそも報告できる内容を失った数年は心苦しかった。せっかくパリのカフェでお会いしながら、わたくしは話をはぐらかそうと「こんな博士論文を書けたらと思うのですが……」と条件法でありえない仮想ばかり並べていた。停滞と空転に巻き込まれた先生が深く失望されていることはあまりに明らかだった。見えみえのポーカー・フェイスが胸に沁み、心中でお詫びをすることがつづいた。
その後、いくらかの経緯を経て、ご退職までの三年、同じ仕事場で過ごすことができた。先生はいまでもわたくしが発表した文章に眼を通し、講評をくださる。それなのに不肖の弟子は相変わらずはぐらかしばかりで、つい無償の雑談に水を向けてしまう。師とともに過ごせることが嬉しくてならないのだ。学会の準備作業をご一緒した春頃、わたくしの行き当たりばったりの仕事ぶりを見ながら、先生は不意にこう仰った。「きみさ、ぼくの指導、気に入らなかっただろう、ぜんぜんテンポがちがうもん」。「そんなことは……」─「いや、絶対にそうだったにちがいないよ」。笑いながらの直説法に、思い出が脳裏を一気に駆け抜けた。
そんなことはない、先生に学べてありがたかった、無条件に。そう言えたはずだったが、言えば涙がこぼれたかもしれない。
(超域文化科学/フランス語)
無断での転載、転用、複写を禁じます。