HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報602号(2018年7月 2日)

教養学部報

第602号 外部公開

ひ弱な分子間力の逆襲!

平岡秀一

生物か非生物かに関わらず、すべての物質は化学結合により原子が繋がって構成されている。「化学結合」と一言で言っても強い結合から弱い結合まであり、その性質も様々だ。私の研究対象は化学結合の中でも弱い方で、主に分子間力と呼ばれる部類に入る。もう少し私の研究を説明すると、興味の対象は分子自己集合という分子が自発的に集まり、秩序構造を形成する現象である。分子自己集合は自然界のいろいろなところで見られる現象で、DNAが二重らせんを形成したり、タンパク質が綺麗に折り畳まれたり、脂質が集合し細胞膜に代表される二重膜を作る現象も、すべて分子自己集合だ。分子自己集合という分野の中で私の研究は一風変わっていて、主に二つの研究を行っている。一つは自己集合がどのように起こるのかという、秩序構造へ至るまでのメカニズムの解明である。もう一つが今回紹介する、弱い分子間力だけを使って、一義で強固な集合体を作れるのか?という問いと、もしそれが可能なら自在に利用できるレベルのデザイン原理を築くことである。どちらのテーマも、同じような研究をしている人がいないので一人ぼっちだが、もともと群れることが苦手な性格であることと、研究という世界ではその方が良いと思っている。どちらの研究もほぼ私が二〇一〇年に駒場へ来てから始めた研究で、このような、一人ぼっちの研究を行うきっかけは、駒場にいる様々な分野(特に私の専門である化学以外)の先生との対話によって後押しされたことは間違いない。このような環境が無ければこれらの研究を始めていなかったので、その点だけでも、駒場は私の研究人生にとってかけがえの無い場所となった。

さて、研究に話を戻すと、分子間力の中で最もひ弱なのがファンデルワールス(vdW)力だ。これは、どの原子間でも働く普遍的な相互作用である。分子や原子間に働く相互作用の強さは距離(r)のベキ乗(r─n)で表され、nが大きいほど、分子なり原子を近付けない限り効果的に相互作用が働かない。静電力はn=1で遠方まで働くが、nが最大値の6であるvdW力は分子をとても近づけない限り有効な引力にならない。vdW力のもう一つの特徴はどの原子にも普遍的に働くため、分子間の相互作用なら、両者の接触面積が増せばそれだけ相互作用を強くできることだ。そこで、目をつけたのが、指物と言われる釘や接着剤を一切使わずに木を組み合わせて家具を作る工法である(図1)。指物は、木材に凹凸の切り込み(ほぞ)を入れて、これを隙間なく噛み合わせる。これを分子レベルで作ったらどうだろう。vdW力の特性を考えると、隙間無く分子を広い接触面積で噛み合わせたら、最弱なvdW力だって使いものになるかもしれない。

ここで、もう一つ、目をつけたのが疎水効果だ。疎水効果とは水と油を混ぜると、油だけが集まって分離する現象だ。石鹸の分子は水に馴染む部分(親水部)と水に馴染まない部分(疎水部)を併せもち、水に溶かすと、疎水部を水から隠すように集合する。先に挙げた脂質はその代表例で、こういう分子を両親媒性分子と呼ぶ。疎水効果によって分子を集合させる力は疎水部の周りにある水分子をどれだけ自己集合により追い出すかで決まる。これは集合による分子の接触面積と同じだ。これらを踏まえると、「綺麗に噛み合う凹凸の疎水表面をデザインし、これを水に溶かすと、疎水効果とvdW力が効果的に働いて、安定な自己集合体が得られるはずだ」という作業仮説が立てられる。これが、分子の世界における指物の作り方「分子ほぞ」の設計原理だ。

ほぞは木を「のみ」で削り、隙間なく綺麗に噛み合わせを作れるが、分子ではそうはいかない。最も小さい水素原子の直径が1.06Å(オングストローム:10─10m)でvdW力を有効に働かせるために許される分子ほぞの隙間は1Å以下である。一つの原子をとったりつけたりすると、1Å以上の差が出てしまうのだから、隙間を1Å以下に抑えて、分子を噛み合わせることが難しいことがわかるだろう。今回開発した分子ほぞは図2に示すような歯車のような形をしていて、正電荷がある二箇所の部分が親水部で、残りは全て疎水部だ。これほど疎水部が多いにも関わらず水に溶けて、六つの分子が自発的に集まり、一片2nmの立方体(ナノキューブ)ができ上がる。他のものは一切生成しない。これが自己集合の醍醐味で、この魅力に取りつかれた。

さらに驚くべきはその熱安定性だ。ナノキューブは水の沸点をはるかに超える130℃で半分が分解し、これを分解温度と呼び、熱安定性の指標として使われる。ナノキューブを安定化する全ての分子間力はタンパク質の折り畳みにも使われている。多くのタンパク質は卵のように少し温めただけでゆで卵になって壊れてしまうが、超好熱菌と呼ばれる80℃以上が快適な温度のバクテリアが持つタンパク質は分解温度が100℃を越すものも多い。しかし、今回作ったナノキューブは殆どの超好熱菌タンパク質よりも安定だ。ただ、ナノキューブよりも分解温度が高いタンパク質がいて、それがパイロコッカス・ホリコシイ由来のCutA1(カットエーワン)というタンパク質で、その分解温度は148.5℃。ここまで来たら、生命分子を追い越したい。ナノキューブの内部はすっぽり空いていて、中には(おそらく)水分子がいるので、これを追い出して疎水分子で埋めれば熱安定性が向上するに違いない。実際、内部に疎水分子を詰め込むと、分解温度は150℃を越し世界記録を更新した。

この研究を通して明らかになったことは、ひ弱なvdW力でもデザイン次第でたくましい分子を作ることができることだ。研究はこれで終わりではない。冒頭で述べたように、最終目標は、分子ほぞという設計原理を汎用に使いこなせるようにすること。そこへ到達するには、もうしばらく時間がかかりそうだ。残りの研究もこの駒場キャンパスで続けるとしよう。

(相関基礎科学/化学)

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図1

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図2
 

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