HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報624号(2021年1月 5日)

教養学部報

第624号 外部公開

<送る言葉> 「磯﨑先生は8階、僕は3階で」

池上高志

 大学の高い建物は良くない。大学の良いところは偶然に廊下で始まる雑談なのだが、高い建物だとエレベーターも使わないなら、尚更他の階の人と話すことはない。16号館は八階だてで、磯﨑先生は八階、僕のオフィスは三階にある。いまやコロナも手伝ってますます雑談の機会は失われ、大学は大ピンチである。なのに、磯﨑先生はよく三階のオフィスに雑談しに来てくれた。中国の化石の話、和泉山地の地層の話、アメリカの大学の話、それに加えて、東大教授はいかにアホが多いか、本郷より駒場の方がいかにいいか、などいろいろ聞かせてくれた。実のところは僕がこんなだから、磯﨑先生は心配してちょくちょく様子を見に来てくれたのだろう、と思っている。そういった優しい先生なのだ。
 磯﨑先生と個人的にも話すようになったのは、地球のスノーボール仮説とカンブリア爆発に関するセミナーの時ではなかったかと思う。スノーボールの提唱者のカーシュヴィンク教授が、磯﨑先生の招きで駒場でセミナーをし、僕も参加させてもらった。セミナーには、宇宙地球関係の学生や教授はいたが、案外とこじんまりしており、もっと大勢の人が押しかけてもいい話題なのにと思ったのを覚えている。それはちょうど二十年前のことで、その頃から異なる分野同士はどんどん断絶し、研究室間の交流も途絶えがちとなる。昔は良かった、は年寄りの決り文句だけど、交流のなさは磯﨑先生と嘆くポイントでもあった。
 僕は趣味でカンブリア紀のオルネラスとかパラドキネシスといった三葉虫を集めていたが、磯﨑先生はもっと目に見えないミクロな生物の化石を調べていた。確かにミクロな化石は先カンブリアの情報のソースだな、と思ったものだ。それから十年以上たって地球最古鉱物をAIで識別する相談をされたり(直接は手伝えなかったがうまくいったそうだ)、広域システム系の将来構想委員会でご一緒させていただいたり。どれも楽しい日常の記憶となっている。
 磯﨑先生が、退職に際して学者は度胸、といった文章を寄せている。裏を返せば、これはヒーローの不在を嘆いているのではないだろうか。いまや、大学の先生は野矢茂樹や米谷民明といった固有名ではなく、哲学や物理を教えている先生となってしまった。革命だ、なんて言っている教授はいない。大学で教える価値とは何か。固有名を失った大学の存在価値は風前の灯火だ。
 学生を連れてのグランドキャニオン・隕石衝突クレーター見学、カルテク・NASA訪問の旅を磯﨑先生は隔年にボランティアでやってこられた。これは素晴らしいことである(なぜ駒場はこれを積極的にサポートしなかったのか!?)。このアメリカ紀行に僕も参加したかったが、結局それは叶わなかった。磯﨑先生の真価は、フィールドにあるに決まっているのだから、一度は野外の磯﨑行雄を見てみたい。もしコロナが明けることがあるならば、今度こそはアメリカの砂漠に一緒に行ってみたいと勝手に思っています。またその時はよろしくおねがいします。

(広域システム科学/物理)

第624号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報