HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報624号(2021年1月 5日)

教養学部報

第624号 外部公開

<駒場をあとに> 駒場での16年間

儀我美一

 私が駒場に赴任したのは二〇〇四年の秋です。学生時代の駒場以来約三十年ぶりに駒場Ⅰキャンパスに通うことになりました。大学院修士課程を修了後、名古屋大学五年、北海道大学十八年、その間アメリカでポスドク二年など、さまざまな研究機関で研究教育活動を行ってまいりました。当時は数学の分野でもまだ出身大学の助手、助教授となっていく例が多かった時代でしたので、本当によい経験をさせていただきました。久しぶりの駒場は、一九七〇年代とは全く別世界でした。赴任した年にルヴェソンヴェール駒場が開店し、少しするとイタリアン・トマトができ、また生協も新しい建物になるなど、どんどんハイカラになっていくのを目の当たりにしました。イチョウ並木の通りも石畳になり、歩きやすくなりました。
 このようにどんどんキャンパス整備は進んでいましたが、自然はある程度残されていて、キャンパス内の散歩でずいぶんリフレッシュされました。秋の金木犀、春の梅、桜など、四季を十分味わえ、騒々しい渋谷からわずかな距離にあるにもかかわらず、このような静かな環境があることはすばらしいと思います。大学の環境整備に努めていらっしゃった方々に感謝申し上げます。訪問される外国人研究者からも大変好評です。
 さて、ご記憶にある方も多いと思いますが、二〇〇四年は独立法人化が始まった年であります。大学の基本的部分まで「競争的」になってきました。「あすの昼食を食べるのにいちいち申請書を書かなければならず、しかしメニューには通常のご飯はなく、デザートばかりになった」と、昔の同僚が嘆いていました。東大はまだよいかもしれませんが、この風潮のため、数学の研究者は大いなるダメージを受けたと思います。大きな研究資金は競争的でよいと思いますが、数学の研究者の個人研究のための資金は、もっと容易に得られるようにする必要があると思います。よく、数学のかたはどこでも研究ができてよいですねと言われます。頭の中が実験室ということなのでしょうが、残念ながら行政文書を書きながら数学を考えるという並行作業は、少なくとも私には不可能です。その間、研究はストップということになってしまいます。この点は大学のせいではありませんが、赴任後を振り返ると残念です。昔我々に授業をしてくださった先生方は、今も色あせないすぐれた研究書を洋書、和書とも多数残しておられます。現在の我々は、そのエネルギーを行政文書作成に使わされているようです。
 私は、人々がまだ取り組んでいない新しい課題に取り組むのが好きで、いわゆる大きな未解決問題を完全解決するようなタイプの数学者ではありません。しかし、幸い、駒場の数理科学研究科に集まってくる優秀な院生やポスドクとの共同研究を通して、温めていた未解決問題をいくつも解決することができました。院生やポスドクから、実に多くのことを教えてもらいました。駒場に来ていちばんうれしかったことは、すぐれた才能を持った多くの若い方々と研究を推進できたことです。指導した学生諸君の中には、総長賞受賞者二名、日本学術振興会の育志賞受賞者二名がおられます。その他、光り輝く才能を持って活躍しておられる方が多くおられ、指導者として大変光栄ですし、今後が楽しみです。
 「数学の研究」というと世間では、世の中と関係ない、難しいことを研究しているように思われがちです。しかし、数学の成果が社会に影響を及ぼすとき、社会は根底から変化する可能性が大きいことも事実です。私の研究分野である「微分方程式」は、数学自体としても面白いのですが、広く社会への応用の可能性があります。しかし、学生時代にはそのことを意識せずに研究に取り組んでいました。私自身の主な研究成果は基盤的なものでしたが、それが画像処理に応用されるのを目の当たりにして、強く意識するようになりました。数学それ自体の問題の研究を目指す若い方々にも、このことを早く意識し、さらに幅広い視野を持ってほしいと願い、数理科学研究科が行っている「数物フロンティア・リーディング大学院」においては、同僚の山本昌宏教授とともに、産業界の問題の数学的な解決を目指す「スタディグループ」を、さらに二〇一六年より「社会数理実践研究」を行ってまいりました。ご尽力くださった産業界・諸団体ならびに数学研究者の皆様に感謝申し上げております。産業現場では、従来の方法だけではなく、新しい数学を取り入れて事業の新展開や経費削減につなげる必要があり、期待されております。私自身、数学分野以外の方との共同研究は少ないながらありますので、その経験を若い方に伝えたいと思っております。
 定年前の一年で本当にいろいろなことを経験しました。オンライン授業、オンライン入試、オンライン国際会議など、定年後の活動にとっても重要と思われる貴重な体験です。偶然とはいえ、このような活動を支えてくださった大学に感謝いたします。

(数理科学研究科)

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