HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報624号(2021年1月 5日)

教養学部報

第624号 外部公開

<送る言葉> 学説の彼方、根源から ─遠藤泰生先生を送る

橋川健竜

 駒場着任一年目の卒論審査会で、第三査読の遠藤先生は中身の薄い私の卒論に困った様子で、控えめに質問をされた。「新しい先生が文句を言いたいのを我慢している。やはり自分は勉強不足だ」というその時の印象は、翌年、先生の院ゼミで実証された。私は課題文献を読み切れず、レジュメを作れば空白ばかり目立ち、期末レポートは議論以前の出来だった。先生のコメントは「まずは日本語の書き方を学ぶことだ。」
 それで私は参考になる日本語を求め、先生の文章にも目を通すようになったが、「...と私は思う。」としばしば文末に主語がくるその文体は、議論を途中で一度解体し、新たな光の下で組みなおす行論とともに、印象に残った。各研究者が己の個性を文体も含めて突き詰めていく比較文学比較文化研究の環境下でそれを磨かれたと知ったのは、ずっと後である。
 先生はその背骨の上に、学界の共通関心事について体系的に研究を積み上げる、まったく別のスタイルにも留学先で触れられた。先生の学問は複数の領域とスタイルを知り、それぞれの一長一短を見据え、相補わせる。これは駒場的に聞こえるかもしれないが、誰でもできることではやはりない。
 アメリカ太平洋地域研究センター(CPAS)では、先生のこうした素養が存分に発揮された。臨機応変の図書室運営に加え、多くの研究者が取り組む人気分野についてセミナーとシンポジウムを組織し、自分の専門分野ではないといいつつ、専門家たちをはっとさせるコメントを出し続けられた。学説に頼らず自力で練ったそれはいつも、他の人には思いつかない組み立てだった。いかなる文化のかたちが総体としてのアメリカを動かすのかという、学説よりも根源的な問いが、そこには脈打っていた。
 アメリカの外に目を向けるアメリカ研究の試みも先生独自である。初期日米交渉史への関心もそうだし、地域文化研究専攻の同僚と手を組んでカリブ地域を論じた論集『クレオールのかたち』(二〇〇二年)は鮮烈だった。他方、アメリカにおける公論の場と形という王道のトピックにも取り組み、論集『近代アメリカの公共圏と市民』(二〇一七年)を形にされている。
 先生のしなやかさをもってしても、駒場は忙しい職場だっただろう。それでも先生は、物おじせず茶目っ気のある語り口で学生と向き合い続けられた。自分の興味を研ぎ澄ませていくことの面白さを初年次ゼミで一年生に実感させ、北米コースでは多様な科目の提供に気を配られた。だから指導を望む院生もご専門の初期アメリカ史に限らず多く、夏や春の研究合宿で育った彼ら彼女らで一七世紀から二一世紀まで網羅できる。このような教育も、誰でもできることではやはりない。学期末には必ず、授業の受講生たちと食事に出かけられていたことにも頭が下がる。
 先生には論考執筆を予定してきたトピックが複数ある。温めておられる構想を形にする時間をついに手に入れられることを、深い感謝とともに祝いたい。存分に練った論を「...と私は思う。」と展開していただける日が楽しみだ。先生、長い間駒場のアメリカ研究を支えてくださり、ありがとうございました。

(グローバル地域研究機構/英語)

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