HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報624号(2021年1月 5日)

教養学部報

第624号 外部公開

<駒場をあとに> 駒場での29+2年間、徒然なる想い出

松尾基之

 私は一九九二年四月に教養学部化学教室(現在の化学部会)の助教授として着任した。以来教員として二十九年間、前期課程の学生だった二年間を加えると、三十一年間を駒場キャンパスで過ごしたことになる。学生時代の想い出まで、普通はここに書かないのかも知れないが、ちょっとだけ触れておくことにする。
 理科二類の学生として入学したのは一九七四年である。化学が好きだったので、入学時から進学先は理学部化学科と決めていた。化学科の進学振り分け(現在の進学選択)の点数はそんなに高かった訳ではないが、勉強の方はまじめにしっかりとやった。高校時代には何の部活動もやっていなかったので、すべての人が大学生になってから始める競技で、スタート地点が同じだと誘われて「東京大学舞踏研究会」(現在の競技ダンス部)に入部した。一高同窓会館洋館(今のルベソンベールがある建物)で、毎週月・金の夕方にはダンスの練習に明け暮れていた。思いの外、練習は厳しかった。その年の全日本学生舞踏選手権大会で東大が優勝したため、練習風景が週刊誌に取材され、私も「選手の卵」として写真に載った。教員になってからは、競技ダンス部の「部長」の役目を仰せつかり、現在に至っている。ちなみに、競技ダンス部は春秋の東京六大学戦十四連覇中であり、全日本学生競技ダンス選手権大会でも優勝を重ねている。
 化学の教員として担当してきた授業の主なものは、前期課程の化学熱力学と環境物質科学であるが、後期課程の教養学部広域科学科・学際科学科で行った実習や実験には忘れがたいものがある。特に、広域科学科の学生実習で三宅島のフィールドワークに行った際に火口観察をした雄山で、わずか一、二ヶ月後に噴火が起こり、我々が車座になって説明をしていた場所や駐車場が噴火口に飲み込まれていくシーンをニュース映像で見るにつけ、実習当日でなかったことに胸をなでおろしたことがある。翌年から実習場所は栃木県の日光・足尾地域になって現在に至っている。
 研究面では、教養学部の助教授が着任当初から研究室の主宰者として認められており、やりがいを感じた。とは言え、着任当初は何の分析装置もなく、一スパン(約36m2)のがらんとした部屋に机一つ、実験台一つの研究室であった。幸い高野穆一郎先生と一つの研究グループを作って共に活動することができた。そのおかげで本格的なフィールドワークを経験することもできた。一九九三年の夏には、一ヶ月程かけてロシア・カムチャッカ半島の火口湖での現地調査を行った。それと並行して、採取した貴重な試料を分析するための装置導入にも尽力した。自分が大学院の学生時代から扱ってきたメスバウアー分光装置は、放射性コバルトをγ線源として使うため、科学技術庁(当時)の許可が必要で、一年ほどかけて駒場キャンパスで扱う許可を取った。その段階で、研究室名を環境分析化学研究室と名乗ることにした。ただし、二酸化炭素による地球温暖化とか、フロンによるオゾン層の破壊とかの大気化学に関することは、担当の授業で扱っているだけで、自分の研究では扱っていない。
 化学の研究室ではあるが、ほとんど化学物質を合成することはなかった。試料とするものは、もっぱらフィールドワークに出かけて採取してきた固体または液体の環境試料である。研究のキャッチフレーズとして挙げているのは、「物質の化学状態から環境を見る!」ということである。分析化学の一つの方向として、より微量な物質をより正確に定量することがあるが、私のテーマとしては、元素の化学状態に着目した環境分析を行っている。その中でも特に鉄の化学状態に注目している。この鉄の化学状態を非破壊で分析できる装置が、前述のメスバウアー分光装置なのである。この装置を用いて、これまでに谷津干潟、東京湾や都市河川の堆積物、大気浮遊粉塵などの環境試料中に含まれる元素を中性子放射化分析法などで定量した上で、鉄の化学状態を指標として、試料の置かれていた環境や起源・成因等を探る研究をしてきた。例えば、東京湾で夏に貧酸素水塊(溶存酸素が少なく海洋生物に悪影響を及ぼす)が発生すると、堆積物表面の鉄分が還元されて二価となり、酸素が戻ると酸化されて三価になる。その変化の度合いが堆積物の地層に歴史として反映されることを利用して、環境評価を行った。
 こうした研究を遂行するに当たっては、途切れることなく新しい学生が研究室に参入してくれたことが大きな力になっていたと思う。その中には多くの留学生も含まれている。彼ら彼女らを指導したり、海外の研究者と共同研究をしたりした経験は、私の人生で大きな財産となっている。また、もともと放射線を分析に利用した研究を行っていた関係で、二〇一一年の福島第一原子力発電所の事故以来、環境中の放射能の分析にも関わってきた。こちらの研究は、小豆川助教(彼も研究室の卒業生の一人)が主体となって精力的に進めているが、国際的にも注目される大きな成果を論文として発表しており、更なる飛躍を期待している。
 さて、もう一つの駒場での貴重な経験としては、学部の運営に関わることができたことかと思う。二〇〇五年に教授になってからは、かなりの頻度で「お役目」が回ってきた。実は、それ以前の助教授時代にも、一年間、学部長補佐を務めたことがあるが、それまではほとんど教養学部がどのように運営されていたのか知らなかった。広域科学科長、広域システム科学系長、化学部会主任、広域科学専攻長、副研究科長・副学部長を歴任し、二〇一三年からは途中二年間のお休みを挟んで現在まで、教養教育高度化機構長を務めている。機構の役割は、既存の部会や学科の枠を超えて多様な教養教育を展開することにある。その中で、普段はあまり交流のなかった文系の先生方と一緒に活動することができたこと、事務職員の方々と連携して仕事をすることができたことが、貴重な経験であったと思う。
 長い間、本当にお世話になりました。ありがとうございます。

(広域システム科学/化学)

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