HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報624号(2021年1月 5日)

教養学部報

第624号 外部公開

<本の棚> 田中明彦・川島真 編 『20世紀の東アジア史』

酒井哲哉

 本書は、「国際関係」と「国家(政治体制)形成」という視座から二〇世紀の東アジア史を通観した、全三巻総計九九四頁からなる浩瀚な書物である。編者は、「それぞれの時代に歴史は繰り返し書き直さなければならない」と述べ、「今日の視点」として次の三点を挙げる。まず、東アジアは二〇世紀を通して最も経済的にダイナミックな発展を遂げた地域である。かつては世界で最も貧しいと思われたこの地域は急速な経済成長を遂げ、世界有数の生活水準を持つ日本、韓国、シンガポールや、いまや世界第二位の経済大国である中国を抱えている。次に、今日の東アジアは比較的「平和」な地域である。一九七九年の中越戦争以来大規模な国家間戦争はないし、一九九〇年代初頭のカンボジア内戦終結以来大規模な内戦もない。最後に、東アジアは多様な政治体制を抱えた地域である。自由主義的民主制、共産党統治、権威主義的体制、「一国二制度」という複雑な要素を内包したこの地域は、かつて一世を風靡したマルクス主義や近代化論が予期した単線的な歴史的発展図式を裏切っている。だからこそ、新たに二一世紀から振り返る東アジア史の試みが必要なわけである。
 国際関係史を扱った第一巻は、前史として「一九世紀の東アジア」を扱った川島教授による章から始まる。気候変動・人口統計・技術革新といったマクロ要因から一八世紀史を概観した後に、一九世紀の東アジア史が「西欧の衝撃」と東アジアの伝統的国際秩序との複雑な関係から説き起こされる。協定関税・治外法権が同時代にどのように解釈されていたか、あるいは、イギリスの「砲艦外交」が単に西欧の威圧という側面だけではなく、海賊の鎮圧という国際公共財の清による「無償」調達という側面を有していたことが最新の研究をもとに指摘されており、読み応えがある。戦前期日本を扱った第二章は、ともすれば別々に論じられがちな日本の大陸政策と東南アジア政策を関連させながら扱い、東北アジアと東南アジアの双方を「東アジア史」の枠で考察する本書の意図を反映している。冷戦期を扱った田中教授の第五章はさすがに安定感があり、続く第六章も冷戦後の現代史の叙述として均衡のとれたものである。
 第二巻・第三巻は、それぞれ東北アジア、東南アジアの各国史を扱ったものであり、紙幅の関係から網羅的な紹介はできないが、「国家(政治体制)形成」という本書の視座に基づき長期的視座から各国史を描き出す骨太な章が多いのが印象的である。例えば第九章では、国家と基層社会との関連から、清朝、中華民国期、中華人民共和国の長期間にわたる中国の統治構造の変容が分析され、統治の浸透と反応の諸相が明晰に描かれている。また、東アジアの急速な経済成長を踏まえて、政治経済学的な研究成果が盛り込まれている点も本書の特色である。福祉から見た台湾の国家形成を論じた第一一章や、「企業的国家」という枠組で韓国史を分析した木宮正史教授による第一二章などがそれにあたる。第二巻に北朝鮮に関する独立した章がないのがやや惜しまれるが、重要な論点はほぼ網羅されていると言っても過言はなかろう。
 第三巻は評者の専門からやや遠いが、フィリピンのカシキズム(地方政界の有力政治家による支配)をマシーンと呼ばれる革新主義期の米国の地方政治と重ねながら米国研究の一環としてフィリピン研究を位置づけた第一三章は、植民地統治を論ずる方法的な斬新さに唸るものがあった。またベトナム戦争期の「武断主義」がそれ以降のベトナム政治で払拭されていく過程を論じた第一六章も興味深く読んだ。総じてどの章も冷戦後の叙述が厚く、まだ新冷戦も始まってなかった私の学生時代の東アジア史とは隔世の感があった。
 こうしてみると確かに、「今日の視点」から二〇世紀の東アジア史を振り返ることは、やはり意義深いことといわねばならないだろう。本書は、現在の研究水準の集大成とも呼ぶべき企画であり、様々な観点から東アジアの二〇世紀に関心を持つ読者の要求に応えるものである。大部な著作だが、まずは自分にとって関心のある章から覗いてみてはいかがだろうか。

(国際社会科学/国際関係)

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