HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報624号(2021年1月 5日)

教養学部報

第624号 外部公開

<駒場をあとに> 半世紀の回顧 ― 十年一日のごとく

杉田英明

 今から半世紀以上前の一九六六年か六七年頃、新設の駒場東大前の駅に一度だけ降りたことがある。都立高校の教員だった父が教養学部の反対側の高校に用事があり、私は一緒に連れてこられたに過ぎなかったのだが、渋谷寄りの改札口を出たところで父が左手を見て、「昔の一高のあとの教養学部はここだったのか」といった意味の言葉を呟いたのを覚えている。小学生の私にはそれが何を意味するのか当然理解できず、あとになって再構成した記憶には違いない。だが最近、正門入構を余儀なくされていたこともあって、そのときの情景をよく思い出す。のちにほぼ四十年以上に亘って自分がそこで学び、そこに勤務することになるなどとは、勿論当時は思いもよらなかったからである。
 外国から戻って間もなく、比較文学比較文化研究室の助手に採用されたとき言われたのは、博士論文を書くことだった。当時は文系で博士論文を提出する習慣はまだ一般化していなかったにも拘わらず、比較の研究室では早くからその伝統があった。文学部に進学した友人にそれを伝えると、「勇気のあることだと思います」という揶揄と皮肉の混じった返答を受け取ったのを覚えている。助手在任中に他大学からのお誘いがあって、研究室主任の平川祐弘先生にお伺いを立てると、「僕だったら行かないね」と一蹴されたので、当面は論文執筆に専念することになった。しかしよくしたもので、論文が完成するのと同時にアラビア語の専任教員の職が新設され、以来駒場で教えつつ学ぶ機会を得ることになった。これも周囲の先生方のご尽力の賜物である。
 今から振り返ると、授業を担当し始めた最初の六、七年が駒場勤務で最も苦しい時期であった。当時の外国語教室所属教員は週六コマの授業担当があり、私の場合、そのうちの一コマは大教室での講義だったので、毎週講演会をやっているようなものだった。また今でもそうだが、一回の授業の準備に一日以上かかることも少なくなく、学外の非常勤講師も兼務していたため、どうやりくりしても準備の時間が足りなかった。おまけにアラビア語のよい教科書も副読本も音声教材もなく、アラビア文字を入力できるワードプロセッサも存在しなかったので、すべて零から文字通り教材を手書きで作らせざるをえなかった。それでものちに授業負担数が少しずつ軽減され、電子機器の機能も向上したお蔭で、何とかやってゆけるようになったのは有難かった。後年、研究会などで、「あのとき講義を聞いたのがきっかけでイスラム研究に進みました」などと言われると、自分のせいでその人の人生を狂わせてしまったのではないかと申し訳ない気持ちになる。
 駒場で多大の時間を費やしたのは雑誌の編輯である。『比較文學硏究』は助手赴任時に当然のように作業を委ねられ、活版印刷から電算写植、現在のDTPへの推移を経験しつつ、今年刊行予定の第百七号でちょうど六十冊目、旧師・芳賀徹先生の追悼特輯号が最後の仕事になりそうである。また、後期課程アジア科で創刊した『アジア地域文化研究』の編輯も偶然私が担うことになって、昨年度で十六号に至っている。この作業でとくに手間がかかるのは、引用文と原文との照合であり、このために学内外の図書館や図書室などにあちこち出向くのは家常茶飯であった。旧八号館の教養学科図書室は借り出し時に図書カードに名前を記入する制度だったので、フランス語の竹内信夫先生から、「閲覧票を見ると、どれにも君の名前が書いてある」と言われたことがあるが、それは私が読書家だからではなく、たんに原稿や校正刷りとの照合のために夕方五時の閉室後、本を持ち帰ることが多かったからに過ぎない。
 両方の雑誌の編輯時期が重なると、例えば朝鮮教育令とクローデルの戯曲、パレスチナ問題や戦後日本の保守運動と『源氏物語』や萩原朔太郎の文学といったあまりにかけ離れた主題や時代に関する複数の関連資料を同時に閲覧することになって、傍らでこの様子を観察する人がいたら、いったいこいつは何の研究をしているのか、いやそもそも何を職業にしているのかといぶかしく思ったことだろう。また、これだけの論文を手がけてきたのならさぞ博学になったろうと思いきや、実情はさにあらず、五年前、十年前に自分で担当したはずの雑誌を読み返すと、もはやその記憶すらなくなっていることも珍しくない。これは、論文の内容より、表記や字体や表現といった形式にばかり気を取られているためであろう。しかし、こうした地味な裏方の仕事は自分の性に合っているので、労苦を感じるよりはむしろ楽しみながら作業をし、学ぶことが多かった。
 これらの仕事も含め、何の制約もなく自由に研究させてもらえたのは駒場の学風のお蔭である。これが狭い専門領域を看板に掲げる研究室所属であったら、こうした自由はとても許されなかったことだろう。その恩恵を蒙ってきた私としては、駒場のこうした風通しの良さに感謝するとともに、今後もその伝統が長く続くことを切に祈りたい。

(地域文化研究/古典語・地中海諸言語)

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