HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報624号(2021年1月 5日)

教養学部報

第624号 外部公開

<時に沿って> パンデミックの年に着任して

中野耕太郎

 二〇二〇年九月一日付で総合文化研究科地域文化専攻の教授として着任した。春から続くコロナの流行はいまだ沈静化せず、辞令交付当日のセレモニーも取りやめとなった。思い返せば、私は前任校でも正式な離任のあいさつをする機会がなかった。また、意気揚々と始めた本学での講義もオンラインが中心で、どこか新天地に来た実感がない。
 私の専門は歴史学である。かつて第一次大戦期の米国に関する研究を物したこともある。だから、百年前の世界が同じような流感に侵されていたことは知っている。大戦末期、カンサス州の米軍基地に発した「スペイン風邪」は、全世界で五億人の感染者を出し、五千万人の命を奪った。だが不思議なことに、これほどの出来事が歴史的にはほとんど忘却の彼方に消えてしまった。スペイン風邪に言及したアメリカ史の概説書はわずかで、かくいう私の著作からもきれいに脱落している。
 「忘れてしまった」というのは本当ではない。実は、パンデミックは私の家族の記憶にも刻み込まれていた。一九〇二年生まれの母方の祖父は、郷里山形の師範学校に学び小学校教員になった──そして後年なぜか学問の魅力に取りつかれ、最後は山科の京都薬科大に奉職した人だ。この祖父は私が中高生の頃には折に触れて、次女である母を訪ねて私の京都の実家に顔を出していた。明治の男らしく、常に寡黙で不機嫌だった祖父の扱いは難しく、帰路バス停まで見送る仕事はいつも私に押し付けられていた。そうした道すがら七〇代の祖父は好んで学校を出た時分の話をした。ぼそぼそと語る内容はいつも同じ。病弱だったのに甲種合格して兵役に就いた自慢、当時山形の他の連隊がシベリアに出兵した驚き、そしてスペイン風邪にかかり九死に一生を得た経験であった。
 もとより、祖父が幸運にも病から生還しなければ、母も私もこの世に存在しなかった。この一事をとっても、それは凡庸な家族史の劇的な例外だったはずだ。だが、私はただの老人の繰り言だと、さして気にしてこなかった。祖父は一命をとりとめ、日常が戻ったのだから、何をいまさら死の恐怖を回顧せねばならぬのか──忘れてしまったのではなく、思い出すことの重要性を認識できなかったのだ。
 同じことは、社会や国家のレベルでも当てはまろう。事実、スペイン風邪は医師や患者自身の手になる膨大な記録、痕跡を残している。だが、ひとたび流行がおさまると、その話題は公論から姿を消し、なにか教訓を引き出そうという立場も影を潜めた。それが、百年の時を経て、現在、残存する史料はにわかに脚光を浴びている。ようやく歴史の暗闇から救いだされた格好だが、それにしても、これまで我々はどれほど多くの疫病や災害の史実を忘却してきたのだろうか。
 二〇二〇年のコロナ禍に、百年前のスペイン風邪を想い、四〇年前の祖父との対話を思い出した私は、歴史学という学問の難しさを痛感している。その価値は歴史家自身が、いかに今を生きる人間としての感覚を研ぎ澄ましていられるかに依存する。はたして数年後にこの職を退く頃、私の東大生活が世界を覆った「特異な」体験とともにはじまった事実は、まだ記憶されているだろうか。

(地域文化研究/歴史学)

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