HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報624号(2021年1月 5日)

教養学部報

第624号 外部公開

<時に沿って> 研究者の初心

今野北斗

 二〇二〇年四月に数理科学研究科に着任しました。私は一昨年度までは同研究科の博士課程の院生で、博士号を取得した後の一年間は理化学研究所のポスドクとして過ごしました。一年ぶりに駒場に戻ってきたと書きたいところなのですが、新型コロナウイルスのため、着任後に駒場キャンパスを訪れたのはまだほんの数回のみです。
 私は高校の頃から数学者に憧れを抱いており、将来は自分も数学の研究をしたいと強く望んでいました。しかし、他の多くの数学専攻の方と同じように、学部の間は基礎的な勉強が主で、本格的な研究に初めて触れることになったのは大学院のときです。修士課程の一年生のときは、自分に研究ができるのか、言い知れぬ不安に襲われることがしばしばありました。周りを見ていると多くの方がそうだったように思います。修士論文の元になるアイデアを最初に思いついた日、あまりの嬉しさにじっとしていられず、深夜の駒場の銀杏並木を際限なく歩き続けたことを思い出します。
 私はまだ研究者としては駆け出しで、したがって研究について一般的なことを語ることはとてもできません。ただ、初心を振り返るには良い位置にいるかもしれないので、初心という言葉を聞いたときにいつも思い出すある出来事について書いてみます。私が修士課程の二年生だった頃、ある高名な数学者の講演に出席しました。講演は、数十年来の未解決問題を解く構想を披露する壮大なものでした。その迫力に魅了された私は、講演内容の理解が覚束ないにもかかわらず、思い切って講演後の懇親会にまでついて行きました。
 印象的な出来事はこの懇親会の席で起きました。具体的な数学的事柄から研究一般に話題が移ったとき、講演者の先生が、これから良い結果を出し続けられるのか今でも不安に思う、というようなことをふっと漏らされたのです。この言葉は衝撃的でした。当時五十代のこの方が今後も良い結果を出し続けることは、いかにも当然なことのようにその頃の私には思われたからです。しかし、この不安な気持ち、一種の初心を保ち続けていることこそが、この先生を極めて生産的、そして創造的な数学者たらしめているのではないか、という気がしてなりませんでした。
 人間はとかく安心できる方向に行きたいという本能的な欲求を持っているように思います。そして経験を積めば積む程、安心できる領域が次第に増えていきます。しかし、もうこれで安心と思った途端にどうしようもなく感覚が鈍るのは、学問に限らず様々な場面で体験することです。一生の中で研究に使える時間には限りがありますが、その中で最大限力を発揮するためには、安心を得られない状況に自ら突っ込んで行くことが必要であるように私には感じられます。そんな不安に満ち満ちたところに赴くために要求されるのは、なによりもまず勇気です。
 もちろん勇気だけで片付くわけもなく、突っ込んで行った先で何らかの成果を挙げて生還するには別の技術が必要なはずですが、それをどう言葉にすれば良いのか私には分かりません。そういった技術は、初心よりもむしろ、以前もぎりぎりのところで生還したという経験の繰り返しによって言葉になっていくのかもしれません。将来研究者を目指す読者の方達も、そして私も、これから駒場でそのような胸躍る経験を積めることを願っています。

(数理科学研究科)

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