HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報631号(2021年11月 1日)

教養学部報

第631号 外部公開

<本の棚> 三浦篤 著『移り棲む美術―ジャポニスム、コラン、日本近代洋画』

永井久美子

 表紙も書名も、「象徴的」とすでに評されている〔『読売新聞』二〇二一年五月二十三日書評(中島隆博氏)、『芸術新潮』二〇二一年五月号(編集部推薦)〕。カヴァー図版は、黒田清輝の《鉄砲百合》(一九〇九年、石橋財団アーティゾン美術館蔵)。書名と題を同じくする序章は、黒田がしたためた師ラファエル・コランの追悼文で始まり、終章「芸術の移動と変容」は、黒田の絶筆《梅林》(一九二四年、東京国立博物館蔵)で閉じられる。コランは、日本から牡丹や百合を取り寄せた園芸愛好家でもあった。黒田のほか、久米桂一郎、岡田三郎助、和田英作といった弟子たちも、明るい色彩の花や木の絵を手がけている。コランの趣味の背後にあるフランスにおける「ジャポニスムの群生」を論じ、黒田らが留学先で学んだ絵画の中に東洋の要素を見る。植物を描く絵も実際に取り上げつつ、日仏で共鳴する「芸術の種子」が海を越え往還する様子が、コランを「扇の要」として、広い視座のもと具体的な作品分析を通し鮮やかに論じられている。
 五百頁を超す大著は、既発表論文の単なる再録集ではない。大幅な加筆修正により明確な問題意識が貫かれ、最新の研究が反映された内容となっている。ジャポニスムと日本近代美術を、コランを軸として日仏の双方向から考察することの着想から三十余年、問題設定への揺るぎない自負と確信は、長年にわたる徹底した調査に支えられている。絵画を主たる対象としつつも、一八七八年のパリ万博における展示での簡素な茶陶の美の発見が、その後のジャポニスムの方向性を変えたことも指摘される。「専門外」の対象を取り上げること、これは決して容易ではない。しかし氏は、精到な調査と鋭い着眼点とで、核心を突く議論を展開してみせる。三浦氏の真摯な姿勢と研究への熱意は、『教養学部報』第六二二号(二〇二〇年十一月刊)「私が美術史家になるまで」に詳しい。
 口絵のマネ《キアサージ号とアラバマ号の戦い》(一八六四年、フィラデルフィア美術館蔵)の分析は、単著『エドゥアール・マネ 西洋絵画史の革命』(角川選書、二〇一八年)もある三浦氏ならではの慧眼が示される一例である。主題はアメリカ南北戦争の海戦であるが、本作の大胆な構図は、歌川広重の連作《六十余州名所図会》(一八五〇年代、ボストン美術館ほか蔵)の手法を取り入れたものであるという。マネが試みた新機軸が明らかにされるとともに、ジャポニスムが西洋世界におけるものの見方そのものを揺るがしたことが論じられる。
 浮世絵からの影響論にとどまらず、いかなる土壌が「日本的なるもの」を選択的に摂取したのかを論じる受容論は、十九世紀フランス画壇の特質を浮き彫りにする。また、歴史画とも寓意画とも分類されかねる黒田の《昔語り》(一八九八年、空襲により焼失、下絵が現存)が四つの章で繰り返し取り上げられることは、留学先で接したあらゆる芸術の種子を持ち帰ろうとした黒田の姿勢と、すべての種が容易に発芽できたわけではない当時の日本の美術界・教育界の状況とのずれを示しているだろう。
 多数の図版が掲載される中の一枚に、三浦氏が館長を務める駒場博物館所蔵の山本芳翠《鮫島尚信像》(一八八一年)がある。若くして没した明治初期外交官の肖像は、パリから芝公園にあった西洋料理店「三縁亭」に渡り、疎開先で焼け残ったものが寄贈された経緯をもつ。寄贈の受け入れを後押ししたのは、フランス語教育を担当していた梅原成四助教授の父君、梅原龍三郎画伯であったという。教養学部の外国語教育と文化活動が刻んだ日仏交流史の一頁を分析するのが、現在駒場でフランス語の教鞭をとる三浦氏であることには、必然的な繋がりさえ感じられる。
 氏は、本書を日仏美術交流史研究の里程標とあとがきで規定する。提示される新知見の数々は、さらなる問いを惹起してやまない。学部生時代に総合科目「美術論」を受講して以来尊敬する教員の大きな仕事を仰ぎ見つつ、本書に圧倒されるばかりではならないことを自戒する。研究の到達点と後続の研究者への課題を提示する三浦氏の姿は、芸術家にして指導者であったコランに重なってすら見えてくるのである。

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(名古屋大学出版会、二〇二一年)
提供 名古屋大学出版会

(進学情報センター/超域文化科学/国文・漢文学)

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