HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報643号(2023年2月 1日)

教養学部報

第643号 外部公開

<送る言葉> 迷宮の奥の高貴な灯 ─藤井聖子先生を送る

宇佐美洋

 藤井さんといえば思い起こすのは、コロナ前、夜八時頃から始まっていた私の研究室での「打ち合わせ」である。藤井さんは事務方に直接出向いてのご相談や、学生対応などでいつもお忙しくしておられ、日本語部会の様々な問題について、私との打ち合わせが始まるのは夜もずいぶん更けてからであった。そのお話は......私自身の理解が遅いこともあってたいてい長く続き、九時、十時を回ることも一再ではなかった。ある夜打ち合わせを終え、それを逃すと寒空の下十五分待たねばならなくなる埼京線の電車に乗り込むため、ホーム移転前の渋谷駅の長い廊下を走り抜け、発車間際の電車になんとか駆け込んだところ......、何としたことか、電車が渋谷から赤羽に着くまでぜいぜいと動悸が収まらず、うむむこれではまずいとスポーツジムに通い始めることを決めた。その後は、打ち合わせが長引き渋谷駅を走り抜けても、せいぜい新宿の手前で動悸が収まるようになった。こんにち私が多少とも健康でいられることの一端は藤井さんのおかげ、といえるかもしれない。
 なんだか話がそれてしまった(話が長くなりがちなのは実は私も同じである)。話を戻すと、長いのはお話だけではなく、いただくメール文もそうであった。改行無しで文字がびっしり詰まった「黒っぽいメール」をいただき、ちょっとくらっとした経験がある、ということも正直に申し上げなければならない。
 しかしながらそうした長いお話、長いメールに対し、私としては真摯に向き合い、おっしゃることを受け止めるための努力を続けてきた、というより、そうしなければならないと考えてきた。なぜなら藤井さんが紡ぎ出す、一見迷宮のように感じられるディスコースを頭の中で再構成し、既存知識とも結びつけながら解釈を行っていくことで、「ああ、そういうことか!」とひどく腑に落ちる瞬間があるからであった。最初はおっしゃることの意味がよく理解できなくても、辛抱強く聞き続けることにより、ある瞬間様々なお話がうまくつながり、そこには一本の筋が透徹していることが見えてくる(そのときには、お話を聞き始めてから二時間ほど経っていることも多いのだが)。それだけではない。藤井さんのお考えは、論理だけではなく、藤井さんとしての確たる「倫理観」(それを藤井さんは「美学」という語で表現されることもあった)、にも裏打ちされていることも見てとれた。その「美学」とは、弱い立場にいる方々を思いやろうとするお気持ちや、個人的にどのような困難な状況にあろうとも、しなければならないことは誠実にやり遂げようとする責任感、などで成り立っているものと思われた。そうしたお心ばえを感じ取ることは、迷宮の中で迷いつつ、ある曲がり角を曲がったところに灯っている「高貴な灯」と、たまさか出会うことのようにも感じられた。
 理解の遅い私が、藤井さんの論理と倫理観をどの程度受け継ぐことができているのかは定かでない。日本語部会を現在の形にするまでの藤井さんの大変なご苦労のうち、私が理解できているのはそのごく一部であろう。しかし、東京大学のような大きな組織の中で仕事をする際、心のなかに自分なりの「高貴な灯」を持っていることの大切さは私が僅かに学び得たことである。このことについて、藤井さんに心からの感謝と敬意を表したいと思います。長らくありがとうございました。

(言語情報科学/日本語)

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