HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報643号(2023年2月 1日)

教養学部報

第643号 外部公開

<本の棚> 英語統一教科書の改訂について

田尻芳樹

 今からちょうど二年ほど前、教養学部ドイツ語部会の統一教科書を覗く機会があった。そこで驚いたのは、旧制高校以来の文学的教養の理念が二一世紀になってもまだ生きていることであった。ゲーテやシラーの詩、カントやニーチェの散文、トーマス・マン、フランツ・カフカらの小説が堂々と並んでいるのである。私は思わず嫉妬してしまった。なぜなら英語の統一教科書でこれは無理だからである。それでも、私は英語でこれをやるならどんなものを選ぶかしばし夢想に耽った。シェイクスピアの悲劇からの抜粋は欠かせないな、思想系ならヒュームとかバートランド・ラッセルだろうか、そこへ私のお気に入りのヴァージニア・ウルフの短編を入れ、さらにカズオ・イシグロあたりを加えて現代の味をつけようか......。これが、楽しい「夢想」に過ぎないのは、英語は、イギリスの言語文化とは無関係に、「世界語」として、将来の「実用」のために学ばねばならないということが常識化したからである。しかし、私が駒場の学生だった一九八〇年代には教養学部の英語の専任スタッフの八割から九割が文学研究者だった。(今はその半分もいないだろう。)英語に関して、語学=文学という等式は九〇年代以降に徐々に崩れていったのだ。
 ざっとそんな話を当時の英語部会主任としたら、その後しばらくして英語新教科書作成の責任者に指名されてしまった。私と同じ英文学者の主任からすれば、文学的教科書は無理としても、少なくともそういう人文主義的「精神」を持って作ってもらいたいという気持ちがあったのかもしれない。そういうわけで、二〇二一年四月から五人の作成班で作業を開始し、このたび、『東大英語リーディング─多元化する世界を英語で読む』を上梓することができた。本書は、表紙や中身のフォーマットを見れば分かるように、先代の『東京大学教養英語読本Ⅰ・Ⅱ』(二〇一三年初版)を色濃く継承している。単なる「実用」を超えた「教養」形成に資する読み応えのある英文を、注釈を手がかりにしながらじっくり読んで、英語読解力を高めてもらうという理念ももちろん堅持している。トピックについて文系と理系をほぼ均等に配分するやり方も同じだ。
 しかし、もちろん、変わったところもある。内容を、より現代を意識したものに変え、感染症や「ポスト・トゥルース」時代の科学的真理など最近話題になっている問題を積極的に取り入れた。そして多元性、多様性を前面に押し出し、地域に関しては、イギリス、アメリカに偏らず、アジア、アフリカ、オーストラリアにも目配りし、話題に関しても、ジェンダー、人種、環境、宗教など様々な領域における多元性、多様性について考えてもらえるような教材を選択した。英語のメインタイトルもEnglish for the Diversifying Worldである。多元性、多様性は、統一教科書が一九九三年に誕生して以来の問題意識であるし、日常的によく聞く言葉なので、もう聞き飽きたという人もいるかもしれないが、大切なことはいくらでも口にしてよいのである。
 また今回、注釈の付け方を大きく変えた。英語に関する注はなるべく減らすことにし、巻末に解答を掲示するクイズ形式もやめた。その分学生諸君には辞書を引く手間をかけてもらう。スマホで手軽に検索というのではなく、しっかりした大辞典クラスの辞書に日頃から慣れ親しんでほしい。また、Qという形で提示した問いの答えは教科書には載っていないので、授業に集中してもらうことにもなる。Dはディスカッションをするための素材で、単なる英語の問題を超えて、それぞれのセッションのテーマに関して深く考えてもらうために新しく設定した。個々の教員によって扱い方は異なるだろうが、教室で実りある議論や考察ができれば、多元化する世界に適応した「教養」が身についていくだろう。
 「英語一列」の授業は、カリキュラム改革に伴い、かつてに比べて大幅にスリム化した。だからこれまで二冊ずつ刊行してきたものが今回は一冊である。従って、教材の選択においては「外れ」がないように緊張感を持って臨んだ。春からの新一年生が楽しんでくれることを願ってやまない。

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提供 東京大学出版会


(言語情報科学/英語)

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