HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報643号(2023年2月 1日)

教養学部報

第643号 外部公開

<駒場をあとに> 希望は果たされたのか?

稲葉 寿

image643-04-1.JPG とうとう「駒場をあとに」を書く時がきたのか、と驚きと感慨にうたれる迂闊さですが、思えば、一九九六年に「時に沿って」を書いて以来、うかうかと二十六年を過ごしてしまいました。この最初で最後の機会に、駒場に来たときに抱いた希望は果たされたのか?という話を書いて、お別れの言葉とさせていただきたいと思います。
 私は一九八二年に京都大学理学部数学系を卒業して、当時の厚生省人口問題研究所に研究員として入所しました。当時は人口問題への政府や一般の関心も低く、いわば忘れ去られた研究所でした。しかも、私には確固とした人口研究の展望があったわけではなく、社会問題を考えるために数学を使えれば良いかな、という程度の認識でした。ところが、一九八〇年代は、数理生物学の興隆期であり、とくにその最も伝統ある個体群ダイナミクスにおいては、関数解析的な手法を駆使した構造化モデルが爆発的に進歩するという時代の大波に出会ったことが、その後の進路を決めることになりました。一九八八年には、京大時代の恩師である山口昌哉教授の紹介で、欧州の数理生物学のリーダーであり、構造化個体群ダイナミクスを精力的に推進していたライデン大学のオドー・ディークマンのもとに留学して学位論文を書きました。帰国したのは九〇年の夏です。
 一九九〇年代は、いまから思うと日本の戦後社会の真の転換点で、ここで舵取りを誤ったことが、現在の我が国の苦境を招いたといっても過言ではないと思います。人口論からみた九〇年代の日本の基本的問題は二つありました。少子化と感染症です。一九八九年に日本人口の合計特殊出生率が戦後最低となる、「1・57ショック」があり、本格的な少子高齢化社会がはじまりました。この人口変動が現在の日本社会のあらゆる問題の根本的要因であることはいうまでもありません。しかし、学問的対応という点で見ると、日本はなにもしませんでした。日本には人口問題の研究者を育成する大学院レベルの組織はありません。人口学研究の博士課程をもたない先進国は日本だけでしょう。日本と同様に、戦後人口研究が不振であったドイツが、九〇年代にマックス・プランク人口研究所を創設して、欧州の人口研究を牽引することに成功していることとは対蹠的です。
 もうひとつの問題は、八〇年代から始まったエイズパンデミックでした。実はこのとき、欧米を中心に、学問の境界を越えて多数の数理科学者が参加して、感染症流行や体内のウィルスダイナミクスを科学的に分析するための数理モデルが非常に発達しました。その研究は、その後発生した多数の新興・再興感染症の流行・治療対策に活用されるようになりました。しかしやはり日本はこの新分野に乗り遅れました。人材育成も研究体制の刷新もできませんでした。私も当時の厚生省エイズ疫学研究班の末端におりましたが、数理モデルを受け入れる素地は全くありませんでした。そのつけは、今般のコロナ危機において如実に現れていると思います。
 私自身の話にもどりますと、オランダから帰国して五年ほど経った頃、人口問題研究所の再編計画がもちあがり、それを潮時と考えて大学へ転出することにしました。ちょうど当時、独立大学院として発足した駒場の数理科学研究科に、応用数理のリーダーとしておられた故三村昌泰教授の示唆を得て、公募に応募して採用され、駒場に着任することになったわけです。厚生省直轄の社会科学系研究機関から東大数学科への移籍は空前の異例の人事で、当時の数理科学研究科の清新の気風の賜でした。そのときの私の意図は、ともかく学問領域として感染症数理を含む「数理人口学」を確立しようということでした。自分が面白いと思うから研究するわけですが、それが日本社会にとっても必要とされるに違いない、というミッションも感じていました。
 駒場に着任して六年目に、東大の学術成果刊行助成制度の支援をうけて、東大出版から初めての単著である『数理人口学』を出版しました。これは日本ではじめて「数理人口学」という学術領域の存在を表明した書籍であったと思います。またおりから保険数理や統計教育への需要がたかまったことから、数理科学研究科が設置した統計財務保険特論のなかで、人口学の講義も担当しました。しかしながら、一般的にいえば、少子化問題が国論の中心に据えられてから三十年を経過しても、国立大学における人口学研究・教育の制度的発展は全くありません。
 一方、感染症数理の普及に関しては進歩が見られました。我が国では京大の山口昌哉、寺本英両教授の主導によって、一九八九年には数理生物学懇談会がスタートし、二〇〇三年には日本数理生物学会に移行していました。数理生物学において、感染症数理モデルは伝統的に有力な研究分野として認められており、我が国でも二〇〇〇年代にはいってしだいに研究者が増えてきていました。しかし数理モデルを実際の感染症対策に生かしていくためには、しっかりとした医学知識とともに統計処理やデータサイエンスとの連携が必要で、そこの人材が欠けていました。その溝をうめるべく、西浦博教授(京都大)によって感染症数理の専門家を育成するための短期コースが毎年開催されるようになり、ようやく関係者が増え始めたところに襲ってきたのが、今回の新型コロナパンデミックでした。量的には欧米のレベルに全くおよびませんが、たった一つのチームであっても感染症数理モデルを駆使して対策を提言できるようになっていたことはおおきな意義があったと思います。
 こうして思い返しますと、四半世紀前の希望は、個人的な成果として一部は実現できたものの、大きな状況を変えるには全く無力だったと思わざるを得ません。それでも、駒場の研究室にきてくれた多くの院生やポスドクの研究者は優秀な方々で、いまや感染症数理モデルやウィルスダイナミクス、数理人口学の各分野を牽引するリーダーになっています。また企業に入って活躍している数多くの修了生の精神のなかにも、人口数理モデルは生きているでしょう。そうした若い世代に、未来を託して駒場を去りたいと思います。
 最後になりますが、そうした筆者の活動を許容していただいた駒場の関係各位、数理科学研究科、(旧)基礎科学科、統合自然科学科とその職員、同僚の皆様にこの場をお借りして、お礼申し上げたいと思います。ありがとうございました。

(数理科学研究科)

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