HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報645号(2023年5月 8日)

教養学部報

第645号 外部公開

予見可能性のArts & Sciences ―「教養」としての安全保障論

石田 淳

 政治とは、制約条件の下で最適解を追求する「可能性の技術(art of the possible)」だとするなら、安全保障はさしあたり「予見可能性の技術」と言えようか。なぜなら、自国がどのような局面でどのような防衛行動をとるつもりなのか、つまりどのような意図を持つのかを関係国(相手国や同盟国)が予見できなければ、自国と関係国との間には、一方の不安を拭い去ろうとする行動が他方の不安を掻き立てる結果、いずれの安全も損なわれるという負の連鎖が生じるからである。
 日本では、二〇二二年の一二月に、「国家安全保障戦略」、「国家防衛戦略」、そして「防衛力整備計画」のいわゆる「安保三文書」が策定されたところである。この機会に三文書に関連して、防衛行動の予見可能性という観点から三つ問題を提起してみたい。

防御兵器
 ある国家が、自国領域に対する外部からの攻撃を排除するために軍備を持つとしよう。その軍備が他国領域への攻撃にも使えるなら、相手国は当該国の軍備[すなわち能力]は観察できてもその意図は観察できない(したがって行動を予見できない)から、両国間に軍備競争と緊張激化は避けられない。では、前者の目的だけに使用できる「防御兵器」を備えれば、攻撃の意図のないことが明らかになって悪循環を免れるのだろうか。そもそも、そのような「防御兵器」はあるのだろうか。
 防御目的の盾にせよ壁にせよ、あるいはその現代版装備にせよ、考えてみれば、対峙する勢力の一方だけがそれを貫通・突破をする能力をもてば、他方にとっては武装解除されるに等しいから、その安全は著しく損なわれよう。それゆえ、軍備競争に終止符を打つような防御兵器は考えにくい。
 ミサイルとミサイル防衛システムの関係を例にとるなら、たしかに日本でも「純粋に防御的な手段」として同システムの日米共同技術研究に着手し(一九九八年)、さらにその整備(二〇〇三年)を行った。しかしながら、一方の防衛能力の向上は、他方の防衛「突破」能力の向上を誘発する。今般の「国家防衛戦略」において「反撃能力」保有に踏み切ったのも、理論家が懸念した軍備競争が現実のものとなった結果のように思える。

戦略的曖昧性
 安全の確保には、防衛行動の意図をあえて曖昧にして、行動を正確に予見できないようにするのが賢明だ、との異論もありえよう。たとえば冷戦期のアメリカは、米軍の艦艇、航空機、基地における核兵器の存否について外国政府からの照会には「肯定も否定もしない(Neither Con­firm nor Deny)」政策をとった[このNCND政策が、日米安全保障条約の下における事前協議の建前に背反したことはよく指摘される]。また、台湾有事における介入についても、その意図を明らかにしないことによって、中国による台湾への侵攻のみならず台湾による中国からの独立宣言をも二重に抑止してきたとされる。
 このような政策は、関係国に、いかなる行動の選択肢をとろうとも成功を期待できないと判断してそれを断念させることはできるだろう。とは言え、これらの政策が意味を持ちえたのは、右記の事例ではアメリカが相手国に対して核兵器を用いて先制攻撃を行わない意図や、台湾の独立は支持しない意図が、相手国(冷戦期のソ連や今日の中国)にとって十分に明らかだったからでないか。
 手の内を明かさないことは、一般に、関係諸国が戦争も辞さないとして臨む交渉のテーブルで相手国から譲歩を引き出すことには役立ちうる反面、意図の誤認による戦争を避けがたいものとする。このため一概に安全保障の処方箋だとは言えない。

条約地域
 「反撃能力」とは、相手の領域において反撃を行うことを「意図」した「能力」を指す。この反撃能力の発動は十分に予見可能なものだろうか。
 複数の国家が、各国領域に対する外部からの攻撃には他国と共同行動をとるとして同盟を形成するとしよう。同盟国の間でも互いの行動には予見可能性が必要だが、同盟条約は、有事の際の共同行動の地理的範囲や使用装備など、あらかじめ仔細にとりきめるものではない。とは言え、共同行動の発動要件(「条約適用事由(casus foederis)」)は特定したい。 第二次世界大戦後にアメリカが締結した同盟条約の場合、条約所定の地域(「条約地域」)において締約国に対して外部からの武力攻撃が生じたときに、締約国は共同行動をとるとした。たとえば、北大西洋条約はその五条において条約地域を北大西洋地域に限定することによって、締約国にとって本意ではない事態に「巻き込まれる」不安を払拭しつつ、共通の危険に直面して他の同盟国に「見捨てられる」不安を払拭した。実際に、同盟形成(一九四九年)後、アメリカの戦争について北大西洋条約機構が集団的自衛権を発動したことは冷戦終結後の九一一事件までなかったのである。 日米安保条約は、「日本国の施政の下にある領域」(五条)を条約地域とする。そしてこの条約地域こそが日米間の行動調整の基盤だったはずである。ところが、二〇一五年成立の平和安全法制は、必ずしも条約地域に限定されない「存立危機事態」という概念を導入した。それは、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」(改正事態対処法二条四号)を指す。しかも、いかなる事態がそれに該当するかについては、「事態の個別的、具体的な状況に即して、主に攻撃国の意思、能力、事態の発生場所、事態の規模、態様、推移などの要素を総合的に考慮し、我が国に戦禍が及ぶ蓋然性、国民が被ることとなる犠牲の深刻性、重大性などから客観的、合理的に判断する」(安倍晋三首相答弁、参議院本会議、二〇一五年五月一八日)とされた。 反撃能力の発動要件は、この存立危機事態も含むが、これほど他の同盟に類例をみない曖昧な概念で、たとえ日米間で行動調整ができたとしても、日米が対峙する相手国に日米の行動の予見可能性が生まれるのだろうか。

(国際社会科学/国際関係)

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