HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報645号(2023年5月 8日)

教養学部報

第645号 外部公開

利己的な酵母たち ―新参者殺しの発見―

畠山哲央、小田有沙

 自分が苦境に立たされている時に、他人が新たに同じ状況に陥ったら、どれだけの人がその「新参者」に優しくできるだろうか。苦しい時こそ他人に優しくするというのは、一つの美徳ではあるが、それを実践するとなるとなかなか難しい。例えば、古代ギリシアの哲学者によるカルネアデスの板という以下のような話がある。船が難破した際、Aは命からがら壊れた船の板切れに掴まることができた。その時、溺れかけたBが同じ板に掴まろうとした。ただし二人で板に捕まると、その板は沈んでしまうかもしれない。そこで、AはBを突き飛ばし溺死させてしまう。この話は、小説や漫画、アニメなどでしばしばオマージュされるため、ご存知の方も多いかもしれない。ここで、AはBを殺してしまったわけだが、多くの人は、危機的な状況においてはAの選択はやむを得ないと考えるのではないだろうか。これは人間に限ったことではないようだ。
 酵母は単細胞性の菌類であり、カビやキノコの仲間である。普段の食卓に上る多くの発酵食品は酵母によって発酵したものであり、酵母は人間にも非常に馴染み深い生き物である一方、熱帯雨林から南極、土中から成層圏(!)まで、酵母というのはどこにでもいる生き物である。そんな酵母は、栄養源が決して豊富ではないような環境にも適応し、増殖することができる。ただしこの時、後からこの環境に適応しようとした新参者に対しては、酵母は決して優しくせず、むしろ毒を出して新参者を殺してしまうということが我々の研究から明らかになった。
 パンを手作りする人であれば、パン作りの際に小麦粉に酵母と一緒に砂糖を加えるのでよくご存知かもしれないが、酵母は栄養源である糖類、特にブドウ糖があるとよく増殖する。ただし、糖類が存在しない飢餓環境下であっても、グリセロールなどの他の炭素源からブドウ糖を合成して、酵母は生き抜くことができる。ここで、飢餓などの危機的な状況では、栄養源が豊富な環境よりも細胞間の相互作用がさらに重要になることが予想される。そこで、我々は酵母をまず糖類を加えていない培地で培養し、酵母が増殖することを確認した上で、そこから酵母の細胞だけを取り除き、酵母の培養上清(といっても糖が入っていないだけで、栄養はまだまだ充分残っている)を作り、そこに再び酵母の細胞を加えるという実験を行った。もし、酵母が飢餓の条件下でお互いに協力するならば、新たに加えた酵母は、最初に培養した酵母よりも増殖速度が速くなるはずだ。しかし、実験結果は大きく異なるものであった。驚くべきことに、加えた酵母のうちの大部分が死んでしまい、酵母が再び増え始めるまでに大幅なラグタイムが生じることがわかったのだ。これは、糖類がない場合、酵母が培地にある種の毒を放出するためであった。しかも、この毒は、元々培養していたものと違う種類の酵母を殺すばかりか、元々培養していた酵母と全く同じゲノムを持ったクローン細胞をも殺してしまうのだ。これだと、一見、毒を出した張本人も死んでしまうように思う。しかし、酵母は毒を出すと同時に、毒に対して適応することによって、自らを毒から守ることができるのだ。しかも、この毒に対して適応した状態を自らの子孫の細胞に受け継がせることができ、結果として、自分とその子孫は増殖し続けることができる。こうして、酵母は飢餓という危機的な環境下において、他の細胞を殺し、自分たちが増殖しやすい環境を作り出していることがわかった。我々は、この新奇な現象を「新参者殺し(latecomer kill­ing)」と名付けた。
image645_01_2.jpg ところで、前述のように、酵母はカビやキノコの仲間であり、系統的にも、また人工進化実験でも、多細胞化の進化が起きやすいことがわかっている。ここで、多細胞性生物が適切な形をとって成長するためには、細胞間で相互に増殖を促進しあうことと、そして相互に増殖を抑制したり、あるいはアポトーシスなどで適切に細胞を殺すことも重要である。ここで、前者の相互の増殖促進は酵母を含め色々な単細胞生物で発見されてきたが、後者のクローン細胞で増殖を抑制したり殺し合うような現象は、新参者殺し以外見つかっていない。そう、この新参者殺しが多細胞進化の鍵を握っているかもしれないのだ。新参者殺しは新規な現象であるため、分子的な機構から、生態的な意義、そして進化に至るまで、まだまだ興味深いことだらけである。

 最後になるが、この研究は、異なる分野の助教二人という、いわば「新参者」が中心となって行なったものである。このような新参者でも「殺される」ことなく、新しい研究を行うことができたのは、駒場の自由で、かつ学際的な雰囲気のお陰だと思う。今後、大学は苦境に立たされる場面も多いかもしれない。しかし、そのような危機的な状況になったとしても、駒場は変わらず、新参者に優しい環境であり続けることを切に期待したい。

(相関基礎科学/物理)
(生命環境科学/生物)

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