HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報645号(2023年5月 8日)

教養学部報

第645号 外部公開

<本の棚> 國分功一郎 著 『スピノザ ―読む人の肖像』

藤岡俊博

 『スピノザの方法』(みすず書房)、『スピノザ『エチカ』』(NHK出版)、『はじめてのスピノザ』(講談社現代新書)に続く四冊目となる著者のスピノザ論である。最近の新書としては珍しい四〇〇頁を超える大著であり、著者のこれまでのスピノザ研究をまとめた本格的な入門書といえる。
 入門という営みの最大の難関は、入るべき門がわからないことにある。導入を要しないはずの完結した哲学の体系にいかなる入り口がありうるのかという、周知の逆説を持ち出さずとも、巷間にあふれる哲学の入門書や解説書を目にする誰もが、この困難を実感したことがあるはずだ。スピノザは『方法序説』でも『省察』でもなく、後者に付された「諸根拠」という特殊なテキストを用いて、デカルト哲学の解説を企てた。分析的方法こそが最良と考えるデカルトが、メルセンヌの勧めにより幾何学的様式で書いた「諸根拠」は、そこから入ってこられては困るとデカルト自身が言いかねない文章だった。著者もまた『デカルトの哲学原理』という、論じられることの稀な著作にスピノザ哲学の出発点を求める。誰も通らない抜け道や脇道、獣道を見つけ出す嗅覚が、優れた「読む人」の証というわけではない。「然るべき出発点から、然るべき順序で観念が導き出されていく」その「道」そのものが、観念の真なることを教えるのであって、「読む人」が指し示すのは、実際に「道」を通り抜けた人にこそわかる正しい入り口だからだ。適切な順路で歩まれたその道程が、歩んだ人それぞれの唯一性の保証となるのだ。
 このことは「読む」という行為がもつ自由と不自由との二重性をあらためて思い出させる。デカルトであれ聖書であれ、スピノザは「徹底して読む人であった」。定められた方向と順番で文字を追い、著者の論理と思想の咀嚼に努めるかぎり、読むことには受動的な不自由が刻まれている。だが「自らが受け取ったいかなる知識をも批判的に検討し、そこに矛盾を見出すやその矛盾を手がかりにして整合的な解釈や考え方を作り出す」とすれば、読むことは逆に能動的な自由のきっかけとなるだろう。「スピノザは読んでいる。受け入れつつも支配されず、体系の難点に目をやりつつも体系の中に浸る」。スピノザの所作が、やはり卓抜した読み手であったデリダの脱構築になぞらえられる所以である。
 『スピノザの方法』は、ドゥルーズ『差異と反復』の引用ならざる引用である「時代の雰囲気」という言葉に、その反時代的な同時代性と同時代的な反時代性を託していた。対して本書は、「読むことそれ自体を哲学上の問題として取り上げる思潮」のなかで著者が自己形成してきたことの「時代的制約」に言及する。制約とは、本書に課された束縛や限界を意味するどころか、むしろ時代の必然性のなかで自己の力を発揮する自由の表現にほかならない。外交官・政治家ライプニッツの形象を通して一七世紀ヨーロッパの政治状況を定位することから始まる本書は、スピノザの生そのものであるテキストの年代記をたどり、未完の遺作『国家論』をもって締めくくられる。政治秩序には宗教が必要だと考えたスピノザ国家論の「時代的制約」もまた、スピノザが「神との契約」でもって、法制度や理性的計算には還元されない、「民主的な決定に基づこうとも決して否定されてはならない価値」を名指したとするなら、時代を超えて現代の民主主義を照らし出す光となりうる。途絶したスピノザの民主主義論はかえって、「来るべき哲学者たち」が、残された空白に「デモクラシーのもうひとつの可能性」(柴田寿子)を書き込むように誘っているかのようだ。
 著者が「いわば手を執って」同行してくれる本書の「道」を歩み終えたあと、読者が手にするのは、然るべき「道」を通ってきたという確信と、これから待つ自由の経験への予感である。本書刊行後に著者の多大な尽力で出版された、スピノザを読むもう一人の達人の文集もあわせて読まれたい(『畠中尚志全文集』講談社学術文庫)。

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    (岩波新書、二〇二二年)

(地域文化研究/フランス語・イタリア語)

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