HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報645号(2023年5月 8日)

教養学部報

第645号 外部公開

分子の世界で整理整頓する

正井 宏、寺尾 潤

 皆さんの家や研究室の机は整理されていますか? 整理整頓を維持するには、やはり日々の努力が欠かせません。電子化が進んだ昨今でも、油断していると机に書類などが増え始めて、いつの間にか散らかってしまいます。整理整頓は一筋縄ではいきませんが、一般的には、書類などが重なり合ってどこに何があるかわからない机よりも、しっかりと整理された状態の方が、私たちの作業効率は向上します。では対象が人間ではなく、もっとミクロな分子の世界では、果たしてどうでしょうか? 分子にとって効率の良い作業環境、すなわち、"分子にとっての整理整頓"とはいったいどのようなもので、それはどうすれば実現できるのでしょうか?
 私たちの研究室では今回、分子にとって整理整頓された環境を人工的に構築し、それが化学反応を促進する触媒の効率を高めることを実証しました。触媒効率を高めることは、限られたエネルギーをより効率的に変換できることから、持続可能な社会を実現するために欠かせない基幹技術です。特に電気エネルギーを使った化学物質の変換技術は、工業的に有用な物質を生産できるだけでなく、電気エネルギーを一時的に化学物質として貯蔵するシステムの構築にもつながることから、自然エネルギーを利用した発電量を安定化させる技術としても注目されています。
 電気エネルギーを使った物質変換を行うには、水の電気分解と同様に、一対の電極を物質と接触させて、電圧を印加します。この時、反応効率を高めるための触媒を電極の上に導入することで、物質変換速度を高めることができます。今回の研究では、酸素(O2)をより高エネルギーな過酸化水素(H2O2)へと変換するための触媒として知られる、コバルトクロリン錯体を利用しました。しかし、このコバルトクロリン錯体を電極の上に直接置くだけでは、複数のコバルトクロリン錯体同士が自発的に集まり、凝集体と呼ばれる塊を形成します。このような凝集体は、内側の触媒が十分に機能しないことに加えて、過酸化水素ではなく水を生じる副反応が起きやすいことから、非効率な触媒系となることが知られていました。言い換えると、電極という「机」の上に、コバルトクロリン錯体という分子を「散らかって重なり合った状態」で設置しても、あたかも人間の作業と同じように、非効率な結果となってしまいます。
 そこで本研究では、コバルトクロリン錯体を電極の上で整理整頓させるための新しい方法として、導電性に優れたπ共役骨格が、非導電性のメチル化シクロデキストリンを貫通した構造(ロタキサン構造)に注目し、この構造をコバルトクロリン錯体の「足場」として利用しました(図)。この構造は、身の回りのコード類のように、それぞれの導電経路が確保されています。この構造の上にコバルトクロリン錯体を導入したところ、錯体一つ一つが整理して並べられるため、錯体の凝集による効率低下を防ぎつつ、さらに高い導電効率で触媒に電流を伝えることができました。その結果、ロタキサン構造を持つ電極を用いることで、過酸化水素の生成効率が大きく向上することが明らかになりました。整然としたコードによって電極と触媒を結ぶことで、それぞれのコバルトクロリン錯体が効率よく反応できる作業環境を整えることができたと言えます。
 今回のような、電極の上と分子が接合する領域は界面と呼ばれており、界面はナノメートルという非常に小さな領域であるため、今でも観測や制御が難しいとされている世界です。今回の研究成果では、ミクロな界面をロタキサン構造を用いて人工的に整えることで、触媒の性能を最大限に発揮させるための新しいデザインを明らかにできました。このように、分子が本来持つポテンシャルが、様々な理由によって十分に発揮できていないという問題は、世の中にはまだたくさん残っています。分子の形や性質を理解・制御する合成化学は、これまでにない斬新なデザインによって、そういった問題を打ち破る力があります。今後も私たちの研究室では、分子が本来持つ可能性を発揮できるための方法・設計を開発していきます。

image645_08_2.png

(相関基礎科学/化学)

第645号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報