教養学部報
第658号
バイオナノマシンたちはどう動くか
矢島潤一郎
細胞内で動くバイオナノマシンは、体長数十ナノメートル(髪の毛の細さの1000分の1)程度で、想像し難いほど小さい。これだけ小さくても細胞の中で単独で生体物質を運搬したり、DNAを複製したりできる。力仕事をしたり、化学反応を進めたりと、人間が作る人工マシンと同様な機能を果たすが、動作原理がわからぬため、人間の手では一から作ることができていない。バイオナノマシンの実体は、ゲノムのDNA塩基配列情報を基にして、主にアミノ酸のような生体物質を材料として作られるタンパク質だ。細胞は高機能な微小マシンの作製においてエンジニアリングの精緻を究めているといえる。
しかしながら、バイオマシンは人工マシンとは異なり、熱に弱く、放っておけば形は崩れ、細胞の中では分解されたり作られたりを無駄に繰り返す。どうしてバイオマシンを作るのに、もっと頑丈で安定な金属やプラスチックといった非生体素材を使えないのか。使えれば、自動車のように数年に一度消耗品を交換することで日々の手間は省け、また、たとえ転んだとしても簡単にはけがをしないだろう。鉄やアルミニウムは地球の地殻に高い割合で存在する原子であるため、容易に手に入ったはずだ。不安定な生体高分子がバイオマシンの材料として採用された答えを誰も知らないが、一つの可能性としては、生き物はすべての部品を働く現場である細胞の中で組み立てる、謂わば〝現場調達・現場生産方式〟が採用されていることと関係がある。人工マシンは、丈夫な材料を別の場所から様々な設備が使える工場に運び、そこで局所的に大きな圧力をかけたり高温にして溶かしたりして形を成型し、思い通りのデザインで作り上げられる〝工場生産方式〟。細胞の中ではそんな設備は到底ないので、溶液中で人為的な外力を加えずとも勝手に形ができあがるよう、柔軟で不安定な材料を使わざる負えないわけだ。安定的な材料は廃棄・分解するにも手間がかかる。デザインも自由が利くわけではない。生物は合理的にできていると思っている人も多いだろうが、進化の過程で一度出来上がった機能がマイナーチェンジを重ね、新規機能を継ぎ接ぎで獲得して今に至っているため、不完全な点が多々ある。現状のテクノロジーでは作れないほど微小で、ソフトな素材からできるバイオナノマシンたちはどう動くのだろうか。
「キネシン」と呼ばれるバイオナノマシンは、神経軸索内で小胞を運んだり、細胞分裂中に染色体を運搬したり、様々な重要な生体機能にかかわるため、キネシンが故障(変異や欠損)して機能不全になると、ヒトの場合であれば様々な疾患を発症する。このキネシンはタンパク質・チューブリンからできた微小管と呼ばれる筒状の構造物(幅25ナノメートル)表面に沿って動く。微小管との結合部位を含むモーターコアと、そこから飛び出たレバー構造、小胞と結合する荷台構造から構成される。キネシンの動きの分子モデルとして、モーターコアで生じた動力源の運動を、レバーの円弧運動によって荷台に載せた物体を直進運動させる〝レバー運動モデル〟が世界で流布している。人工マシンのアナロジーで考えるともっともらしい動かし方だろうが、不安定材料から作られる極微小なバイオナノマシンの動きの基本原理にもあてはまるのだろうか。理詰めせずにとにかくキネシンが動く様子を観察してみよう。
細胞内小胞に見立てた数十ナノメートルの金棒に複数のキネシンを固定させ、微小管上での振る舞いを三次元空間で計測すると、これまでの知見どおり、微小管の周りを螺旋軌道で進む(この動きも大変そうだが)とともに、なんとキネシンによる金棒の「自転運動(金棒の上下軸周りの回転)」も計測された。この動きを敢えて喩えると、〝コークスクリュー軌道のジェットコースターがコーヒーカップアトラクションのように自転もしている〟ことになる。人工マシンではなかなかお目にかかれない(詳しくは須河さんらの二〇二二年十二月のプレスリリース記事を参照)。また、人間が設計するマシンではありえない想定だが、キネシンのレバー部分をモーターコアの様々な場所へ付け替えたり(敢えて喩えれば、自転車のペダルをサドルやハンドルに付け替え)、レバーをふわふわの高分子に替えたり(喩えば、綿菓子からできたペダルやクランクを装着)しても、キネシンは一方向に運動した。つまり人工マシンに実装している仕組みとは異なるようにバイオナノマシンは動いているようである(詳しくは教養学部統合自然科学科卒業生の住吉さん・山岸さんらの二〇二四年七月のプレスリリース記事を参照)。従来のキネシンの運動モデルに基づくと、いずれの動きの計測結果も「そんな馬鹿な!」と思われそうだが、上述の実験家たちは「着想に飛躍がある」研究を独特な仮説をそれぞれ掲げ、技術力を日々鍛えてやりぬいたからこそ、バイオナノマシンの運動性の基本原理に繋がる手掛かりをえられたのであろう。
生物と機械との間には、数学者ノーバード・ウィーナーが提唱した「生物と機械を制御と通信の観点から統一的に扱おう」という古典的サイバネティクスからだけでは捉えきれない差異がある。多くの機械が中央集権で制御する「他律システム」であるのに対し、バイオナノマシンを機能性素子とする細胞が集まってできた生物は、例えば多少のけがは自らで治癒するし、トカゲの尻尾は切れても再生されるよう、細胞が必要であれば個々の判断で増殖する、中央管理者不在の、もっというと設計者不在の「分散型自律システム」である。このシステムの実体を担うバイオナノマシンがどのような世界を経験しているかを想像してみてほしい。バイオナノマシンには勿論、目や耳や脳はないので、〝あそこまで行こう〟とか〝これを運ぼう〟とか先を見通せない。それでも細胞内で必要な領域に必要なものを運び、障害物があれば巧みにかわす。実際、細胞内のバイオナノマシンを観察すると、とにかく動きまわり、動くことで周りと多様な相互作用をして結果的に状況を打破しているように見える。教養学部生の皆さんも、あまり先読みしすぎずに、着想に飛躍があっても、面白そうなことを自分の判断でとにかくやってみよう。〝君たちはどう動くか〟、皆さんの活躍に期待したい。
(生命環境科学/先進科学)
〇関連情報
【研究成果】バイオナノマシンの運動性の基本原理を実証 ──定説の運動機構を覆しうる発見──
https://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/news/topics/20240722140000.html
【研究成果】バイオナノマシンチームの螺旋運動の分子機構に迫る ──バイオナノロボの設計に向けて──
https://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/news/topics/20221220190000.html
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