教養学部報
第664号
<時に沿って> 駒場に帰属するということ
中尾沙季子
二〇二五年四月に地域文化研究専攻に着任しました、中尾沙季子と申します。幼少期から引っ越しが多く、留学や調査地での滞在も含めて、これまでさまざまな場所に暮らし、学び、研究をしてきました。そのなかで一番長い期間「在籍」していたのが駒場で、キャンパスに足を踏み入れると、ホームに帰ってきた、と感じます。
わたしたちの暮らす社会には、ひとびとの帰属を定めるさまざまな分類が存在しますが、他者による分類と、自己による認識は必ずしも一致しません。わたしが研究対象としている十九世紀から二十世紀にかけての、アフリカにルーツをもつひとびとの中には、自身を「ブラック」というラベルを用いて表現するひともいますが、他者によって「黒人」と分類されることに抵抗する動きもあります。どのようにして異なる立場が形成されていったのか、背後にある歴史を紐解いていく必要があります。
ところで、わたしが留学時代に指導を受けたセネガルの歴史家イブライマ・チューブ氏は、パリに招待されて講演を行ったさい、次のように述べました。
「自分が黒人であることを誇りに思うというひとがいるが、わたしはそうではない。たとえば、わたしが本を書いたら、わたしはそのことを誇りに思うだろう。本を書いたのはわたし自身なのだから。でも、わたしの肌を黒くしたのはわたしではない。自分が成し遂げたことでもないのに、どうして誇りに思うことがあろうか。」
もちろん、異なる立場の背後には、異なる地域・社会の状況があり、それぞれを考慮に入れずに、そのひと自身の帰属意識を評価することはできません。しかし、自分が成し遂げたことによってのみ、自分を規定したいと考えるチューブ氏の主張は、講演が行われた当時、さまざまな局面でマイノリティに属する立場で、同じパリに滞在していたわたしにとっては、大きな刺激となりました。
わたしが駒場をホームと感じるのは、わたしの思考の重要な部分が駒場で培われてきたという自覚があるからです。ひとつのことをさまざまな角度から徹底的に掘り下げていくというアプローチは、駒場で、学友たちと白熱した議論を交わすなかで身につけていったように思います。それは、わたしが誇れる経験です。一方で、共同体というのは、その輪郭が固定化されれば、必ず排他性を帯びるものです。わたしが拠りどころとする駒場が、二十年前の駒場にとどまらないよう、今度は異なる立場の構成員として、その在り方を刷新しつづけられるようにしなければならない、と考えています。
最後にもうひとつ、わたしが指針としている言葉を紹介しましょう。マリ出身の作家アマドゥ・ハンパテ・バの言葉です。
「もしあなたがわたしと同じように考えるなら、あなたはわたしの兄弟だ。もしあなたがわたしと同じように考えないなら、あなたは二倍、わたしの兄弟だ。なぜなら、あなたはわたしに、もうひとつ、異なる世界を開いてくれるのだから。」
みなさんと一緒に、たくさんの世界へと開かれた駒場を築いていくことができたら嬉しく思います。
(地域文化研究/フランス語・イタリア語)
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