教養学部報
第664号
<時に沿って> 想像を超えて、可能性を考える
寺下和宏
みなさん、初めまして。四月に総合文化研究科地域文化研究専攻に着任した寺下和宏と申します。一、二年生のみなさんとは初年次ゼミナール文科や基礎科目の政治Ⅱで、三、四年のみなさんとは韓国朝鮮系の科目でお会いすることになります。私の専門は比較政治学、韓国政治、社会運動論で、これまで主に韓国の社会運動、フェミニズム運動を研究してきました。
冒頭に「初めまして」と書いたように、おそらく駒場にいる多くの人が私と初対面だと思います。私は東大どころか、東京や関東にもほとんど縁がなく、この着任を機にはじめて関西とソウル以外の場所に住むことになったからです。ちなみに教員の皆さまもほぼ全員が初対面でした。
駒場に縁があるとすれば、八年前、私が大学院修士課程に在学中、学外から来られていた先生の集中講義を受けにやってきたことくらいです。当時のこの集中講義はとても刺激的で面白く、何より「大学教員・研究者は面白そうで、やってみたい」と思うきっかけとなりました。あの時、担当の先生が学外者である私の聴講を認めてくださらなければ、きっと私は今ここにいないでしょう。しかし、あの時は元々、教員になろうという考えで受けにやってきたわけでもなかったので、まさか私が駒場に戻ることになるとは全く想像できていませんでした。
さて、おそらく学生の皆さんは「将来を想像してやりたいこと、なりたい自分を見つけよう」とか、言われ続けてきたでしょうし、これからも多くの人がそのような言葉をかけてくるでしょう。そして、その将来のために「役にたつ」スキルを身につけようといった言葉もよく目にすることでしょう。
しかし、この不安定な社会や厳しさを増す国際情勢を考えると、これからを正確に予測して、なりたい自分を想像したり、将来のために何か一つ「役にたつ」スキルを選んで身につけたりするのは極めて困難であると言わざるを得ません。私自身も、たった数年後の自分ですら想像できなかったですし、何か一つ秀でたスキルがあるから、今ここにいるわけでもありません。
「何になるか」「何をしたいか」「役にたつかどうか」は最後まで分からなくてもいいと思うのです。これらは生きていく中で変わっていくものでもあります。そもそも不確実性が高い社会のなかでは、必ずしも長期的なビジョンや「役にたつ」スキルが個人の幸せや安定、社会の発展につながるわけではありません。ロシアによるウクライナ侵攻で日本でもロシアの専門家がマスメディアに出るようになるなど、そもそも何が「役にたつ」のかもわからない社会になっています。
何が起こるかわからない中で、一つの想像に賭けるというのはあまり戦略的とは言えません。そうだとすれば、いくつかの可能性に賭ける、という戦略も考えてみていいでしょう。様々なことに取り組むなかで、自分にしかできないニッチなことが評価されるかもしれませんし、取り組んだ中で何か一つが自分の将来につながるかもしれません。みなさんが進むかもしれない、何か一つの可能性のために、これから皆さんと一緒に学んでいければと思います。どうぞよろしくお願いします!
(地域文化研究/法・政治)
無断での転載、転用、複写を禁じます。