HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報666号(2025年10月 1日)

教養学部報

第666号 外部公開

教皇名から見えてくるもの

山本芳久

image666-01-1.jpg カトリック神学の基本概念の一つに「信仰の遺産」というものがある。信仰とは、単なる個人の心のなかでの思い込みや主観的な信念のようなものではなく、「初代教皇」とされるペトロを中心とする使徒たち以来受け継がれてきたイエス・キリストの教えという「遺産」を受け継ぎ、次の世代へと受け渡していく、時間的にも空間的にも広がりのある共同体的な営みだという発想がこの「信仰の遺産」という概念のうちには含みこまれている。

 カトリック教会を率いる教皇の役割とは、一言で言えば、二千年にわたって受け継がれ、発展させられてきた「信仰の遺産」を、現代世界との対話の中でどのように適用し、キリスト教のメッセージをどのような仕方で現代を生きる人々に語り直すかというところにある。そして、その志向性はしばしば「教皇名」のなかに端的に表れる。

 カトリックを代表する神学者・哲学者であるトマス・アクィナス(一二二五頃~七四)を専門にしている私は、直接に教皇を研究対象としてきたわけではない。しかし、同時代に生きる教皇の存在には常に関心を抱いてきた。

 とりわけ、教皇フランシスコの逝去、教皇選挙、レオ十四世の新教皇選出という一連の出来事において、予想以上に多くのメディアからインタビューを受ける中で、この機会に教皇についてまとまった考察を行いたいという思いが強くなり、教皇フランシスコ逝去後の三ヶ月あまりの時間をまとめてこの仕事に費やし、八月に『ローマ教皇―伝統と革新のダイナミズム』(文春新書)を刊行するに至った。

 二千年に及ぶカトリックの伝統(「信仰の遺産」)には、実に多様な発想が含みこまれている。それらの多様な要素の中から特にどのような要素に焦点を当てるかに応じて、同じカトリックといっても、かなり異なったヴィジョンが生まれてくる。

 教皇フランシスコは、これまで誰も選んだことのない「フランシスコ」という教皇名を選び取った。それは、天地万物を「兄弟姉妹」と呼び、貧しい人、苦しむ人と共に歩むことを大切にしたアッシジのフランシスコ(一一八一/一一八二~一二二六)の精神に倣うためであった。回勅『ラウダート・シ』において環境問題についての危機感に満ちたメッセージを発し、人間同士の調和、人間と神との調和のみではなく、人間と自然界との調和という観点からキリスト教のメッセージを語り直した教皇フランシスコの十二年に及ぶ教皇職は、まさにアッシジのフランシスコの精神を現代において再現するものであった。

 教皇フランシスコは、様々な機会に、「教皇(Ponti­fex)」というラテン語の語源は「橋(pons)をつくる(facio)」ことだと述べ、異質な人々同士が橋をかけ合い、対話的に共存していくことの大切さを説いた。これもまた、イスラーム世界のスルタンとの会談を敢行したアッシジのフランシスコの精神に連なるものであった。教皇フランシスコは、カトリックの多様な伝統の中からアッシジのフランシスコの精神を選び取ることを通じて、カトリックに新風を吹き込むことに成功した。「伝統に依拠することによってこそ可能になる革新」というカトリシズムのダイナミックな在り方の典型的な事例がここに見出されると言えよう。

 それでは、新教皇レオ十四世は、何に焦点を当てようとしているのだろうか。そのことを明らかにするための第一の手がかりは、「レオ十四世」という教皇名の選定のうちに見出される。「レオ」という名前を選んだ前任者は、十九世紀末に教皇を務めたレオ十三世であった。

 レオ十三世は、『レールム・ノヴァールム(新しい事柄)』という回勅によって広く知られている。「回勅」とは、教皇が発出する公式文書のうちでも最も重要なものであるが、この回勅は、「社会回勅」の嚆矢として有名である。それまでの回勅は、あくまでもカトリック教会内の文書として、聖職者や信徒に信仰上の事柄についての導きを与えるという色彩が強かった。それに対して、資本主義の発展による貧富の格差の拡大に対する危機感に基づいて発布された『レールム・ノヴァールム』は、労働者の人権や社会正義の実現といった、狭義での「カトリック教会」の枠組みを超えた人類全体に対する普遍的なメッセージの発出という色彩が強いものであったのである。レオ十四世は、AIの発展や世界を分断する様々な格差という二十一世紀の「新しい事柄」に対して、レオ十三世の精神を引き継いで応答していくことを自らの教皇職の中心的な課題と考えているのである。

 また、レオ十四世は、カトリックを代表する修道会の一つであるアウグスチノ会の一員であり、かつてその総長を務めた人物でもあり、古代最大の教父であるアウグスティヌス(三五四~四三〇)の精神を深く受け継いでいる。レオ十四世は、教皇就任ミサ以来、アウグスティヌスに由来する「落ち着かない心(restless heart)」という言葉をたびたび使用している。人間の心には無限の憧れがあり、何を獲得しても満足できず、不安の中、手探りで常に新たな事柄を追い求めていく必要がある。そしてそれは悪いことなのではなく、そのような絶えざる探究心こそが人間に与えられた根源的な賜物なのだ、と。
古代末期と同じように、激動と不安に満ちた世界の中で、レオ十四世が、レオ十三世の社会正義の精神とアウグスティヌス的な探求の精神とをいかに結び合わせ、現代に語り出していくのか。その歩みを注視していきたい。

(国際社会科学/哲学・科学史)

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