HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報666号(2025年10月 1日)

教養学部報

第666号 外部公開

中世史家が見るコンクラーベをくぐり抜けた新教皇

藤崎 衛

 二〇二五年五月八日(日本時間では九日午前一時過ぎ)、第267代ローマ教皇レオ14世選出が知らされた瞬間は、YouTubeでシスティーナ礼拝堂やサンピエトロ広場でひしめき合う人々を交互に流し続けるスマートフォンを片手に、自宅の廊下へ出たところにおいてだった。やがて"Habemus papam!(我ら教皇を持てり!)"という待望のフレーズに続いて新教皇の名が告げられた。広場にいる群衆の数百倍数千倍ものウェブ視聴者の一人として中継画面をのぞき込むと、そこには温和さの中に少々苦み走ったものをとどめるようにも見える丸顔があった。この顔は、出馬表よろしくずらりと並んだ有力候補者一覧の上位には入っていなかった。次いで彼の発する言葉に聞き入る。イタリア人でないことは英語訛りと思われる発音がよく示していた。新たな教皇の出自やキャリアは、対外的に提示される貴重な文脈のひとつである。たとえば彼らが今後の教会統治において重視していることは何か、常に喫緊の課題である国際情勢といかに関わろうとしているか、過去に即位した教皇、特に前任の教皇の試みを継承するか一時留保するか。

 しかしこの段階では新教皇に関する情報は乏しかったため、意識は自然と幕を閉じたばかりのコンクラーベへと向かった。わずか二日間、四回きりの投票で枢機卿たちは密室から解放されたのであるから。彼らとともに安堵した気分になる。なぜなら古来、枢機卿にとってコンクラーベは苦難に次ぐ苦難の場であったからだ。

 「教皇選挙」と「コンクラーベ」は、現在では同じように使われるが、本来の意味は異なる。前者はローマに信徒共同体である教会が誕生した一世紀以来現在に至るまで、ローマ司教(のちに「教皇」という特別な称号を併せ持つことになる)の歴史に寄り添う影のようにともに歩みを刻んできた制度を指し、その本質は王権の継承にも似た「前任者の死とともに後任者が選ばれる」という一連の手続きにある。この手続きにおいて前任者の死は「人としての教皇の有限性」を示唆するものであり、後任者の誕生は「普遍的存在としての教皇座の連続性」を物語るものであるとみなされるが、ここにも王権との類似性を見出せないことはない。しかし教皇選挙は、それ以外の権威・権力の踏襲システムと決定的に異なる点を有している。それは、選出母体であると同時に実質的な被選出母体である枢機卿団が独身男性によって占められており、原則として血統原理がほとんど働かないという点である。したがって教会は、新たな教皇を選出する際の正当性を担保するためのルールを作成するにあたり、血統以外の要素を多数盛り込んでいかなければならなかった。言い換えれば教皇選挙の歴史は、その初代とされるペトロの後継者を正しく選び出すための工夫の連続であったということができる。

 この歴史についてここでは論を詳しくする余裕はないが、その流れをざっとたどってみよう。四世紀までにすでに「空位期間」と「対立教皇」が出現し、四世紀以降十一世紀までは、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世を嚆矢とする世俗権力の介入あるいは共存が教皇の選出にも多大な影響を及ぼすようになった。しかし十一~十二世紀の教会改革期において教皇候補者の選定は枢機卿の特権だと定められて世俗権力が放逐され、三分の二以上の多数票を獲得した者が教皇となるという「多数決の原理」が導入されたことは画期であった。しかし十三世紀後半においてもなお教皇選挙は紛糾し、ときに二年を超えて空位期間が長引くこともあり、教皇という「かしら」の定まらない教会は迷走した。これに業を煮やした教皇領の都市支配者は、枢機卿を「鍵のかかった(cum clave)」場所に閉じ込め、教皇が決まるまで劣悪な環境に晒しつづけた。あるときなどはこのような措置に耐えきれず、病で落命した枢機卿すらいたのである。この枢機卿の閉じ込めこそが、現在行われるコンクラーベの始まりにほかならない。投票が二日で済んで筆者が安堵した理由はここにある。詳細に関してはこの「枢機卿閉じ込め」を法的に確立したグレゴリウス10世の教令『ウビ・ペリクルム』を一読することを勧めたい。ただひとりの教皇を選出する困難さやそれに伴う悲喜劇が、強く実感できるはずである。

image666-01-2.jpgシスティーナ礼拝堂の鍵。1975年まで200年以上用いられたもので、Conclaveの文字が見える。

 このようなことを想起しながら、再びレオ14世に視線をもどす。合衆国に生まれたほとんどの者がそうであるように複数の血脈に連なっている教皇は、落ち着いた色合いの伝統的な衣装に身を包み、誠実そうに佇んでいた。浮薄なところはうかがえない。また彼の知る世界は北米のみならず長く活動した南米にまで広がるが、属する聖アウグスチノ修道会は古代末期の教父アウグスティヌスの古典的かつ清冽な思想をひいている。なるほど、新たな指導者を迎えた教皇庁は前任者の功績を認めつつも中道・保守路線にシフトするのだろうか? いずれにせよレオの出自や経験には、巧妙なバランス感覚が見え隠れする。

 他方で彼自ら選んだ教皇名は、史上初の社会回勅『レールム・ノヴァールム』を宣下したレオ13世にちなむという。とすれば、微笑みと決断力が同居する表情は現代社会との対峙という覚悟に由来するものか。実際、それ以外の「レオ」、たとえば大教皇レオ1世、カール大帝の戴冠を行ったレオ3世、バチカンの「レオの城壁」で知られるレオ4世、ドイツ人でありながら教会改革の主導権を掌握したレオ9世......、歴代の「レオ」たちは総じて、古きを知りつつ新たな試みをなした者であった。この系譜の最先端にいる我々のレオは、AIの問題を重くみていると公言している。この神でも人類でもない存在に彼はどのように語り掛け、共存していこうとしているのか。いかなる先例を求め、いかに未来と接続させるのか。興味は尽きない。古代、中世、近代そして現代から未来へ。教皇はいつの時代においても、多くの先達と彼らが統べた教会が歩んできたすべての過去を背負い、新たな歩みを進めていく者である。まずは彼の最初の回勅に注目したい。

(地域文化研究/フランス語・イタリア語)

第666号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報