教養学部報
第666号 ![]()
<本の棚> 小林俊行 著 『地力をつける 微分と積分』
加藤晃史
100万から1を引くと99万9999になるというのは、あなたなら即答できるだろう。しかし古代ローマであれば、それは信じられないような芸当であり、あなたは計算の天才と思われたはずだ。実際、古典ラテン語には100万を表す言葉は存在しなかったし、そもそも数千よりも大きな数のローマ数字による表記法も確定していなかった。十進法による位取り記数法は人類の偉大な発明である。それに慣れ親しんでいる我々にとって、大きな数を思い浮かべることは造作ない。「整数が無限に存在すること」は、それ自体が自明の理となる。古代人にとっては考えることすら不可能であったことが、自明と思えることこそ、数学がもたらす「わかった」という体感の本質である。
十進法のような数学の概念は、決して自然に獲得されるものではない。人類にとっての二足歩行のような本能的なものでもないし、進化の過程で遺伝情報として刻まれたものでもない。文字などと同様、先人たちの発明を学び伝えてきたものである。読み書き算盤は、親から子へと伝承されるほど広く共有されていると言えるだろう。しかし、算数が数学となり、関数、方程式、微分、積分、......となると、どうだろうか? 世の中に数学に苦手意識を持つ人がこれほど多いのは、次第に抽象化するこれらの概念が活用される場面をイメージできないからではないか? 成り立つ理由も分からない公式を試験に出るからと丸暗記するだけでは数学は身につかず、苦行以外の何ものでもない。
本書は、数理科学研究科の小林俊行先生が担当されている、「数理科学概論」という教養前期課程文科生向けの授業内容をまとめたものである。『文科の多くの学生にとっては、大学の数学講義は「人生最後の数学」となるかもしれません。だからこそ、単なる公式や知識だけでなく、数学という学問の奥に広がる世界に触れてもらいたい。』(数理ニュース2024-2 vol. 53から引用)という著者の気持ちが滲み出ている好著である。
扱われる内容は、いわゆる微分積分入門である。伝統的な教科書では、まず極限を説明し、次に微分へと続く。しかし本書の第1章「本書の目標」は次のような言葉で始まる。『社会に出れば、学校では学ばなかったような問題に直面します。ものごとを根本から考える「地力(じりき)」があれば、想定外の問題にも対応できる幅を拡げてくれるでしょう。それでは、数学の地力をつけるために、どのようなことを意識すればよいのでしょうか?』そして「数学の概念の芯をつかむ」ことの重要性を説き「微分と積分は何をとらえているか」と続く。
第2章いよいよ極限かと思いきや、「大きな数をとらえる」というタイトルに、一瞬呆気にとられる。大きな数を感覚的にとらえる方法 /フェルミ推定/収束や発散の〝速さ〟/誤差評価、というメニューは、十進法で大きな数や小さな数について「知っているつもり」の脳を刺激して止まない。
第3章「極限に至る道」では、多項式や二項係数といった高校数学の話題から Taylor展開へとつなげるだけでなく、複利計算とピタゴラス音律を対比させるなど、数学が学問の枠を超えて我々の経験とつながっていることが語られる。章の冒頭で、『極限を理解するために、〝無限〟の一歩手前の〝有限〟の段階で、一番〝効く〟部分(主要項)は何か、あるいは小さいけれども無視できない部分はあるか、を正しく捉えることが大事になります。』と書かれている。極限の議論の真髄を、一切の記号や数式を用いずこれほど的確に表現した文章を私は他に知らない。εδ論法で悩める理系学生にも一読を勧めたい。
本書はさらに第4章 微分―局所をとらえる/第5章 偏微分―多変数関数の微分/第6章積分―「そこにある量」をとらえる、と続く。随所に著者ならでは動機や説明が加えられているが、紙数の関係でこれ以上具体的に紹介することはできないのが残念だ。
論理を頼み他から独立する数学は、ややもすると外界を拒絶するオーラを放つ。本書はそれを全く感じさせず、むしろ風通しの良い、清々しい気持ちにさせてくれる。それは、我々がふだん何気なく目にする景色にも、数学の目を通して見るとより鮮やかに彩られた世界が広がっていることに、本書が気づかせてくれるからだろう。
(数理科学研究科)
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