HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報667号(2025年11月 4日)

教養学部報

第667号 外部公開

ドイツ・ヨーロッパ研究センター25周年・欧州研究プログラム20周年に際して

森井裕一

 二〇〇〇年秋にドイツ政府の支援を受けて開設されたドイツ・ヨーロッパ研究室(DESK)は二〇〇五年に研究科附属のドイツ・ヨーロッパ研究センターとなり、研究・教育の両面で活動を続けてきた。制度的枠組みは変化してきたが、二〇二五年で活動開始から二十五周年となる。センターが支える形で大学院教育プログラムとして二〇〇六年に開設された日本で最初の修士学位「欧州研究」を授与する欧州研究プログラム(ESP)も第二十期の学生を迎え入れている。これを記念して、七月十三日に記念シンポジウム「現代ヨーロッパにおける共生の理想と現実」が開催された。

 速水淑子DESK執行委員長・ESP運営委員長が司会を務めた第一部の修了生シンポジウムでは、ESPのみならず前身の教育プログラム(DIGES)や本郷キャンパスの他研究科の学生が参加するZDSなどの修了者が報告を行った。吉田徹氏(同志社大学)は「ポピュリズムの政治学」と題し、ポピュリズムの概念そのものが「構成物」であること、そして研究者自身の政治的立場やレンズがそれをどう意味づけているかを問うことでポピュリズム研究の展開を紹介した。小西杏奈氏(専修大学)は「欧州における税の協調と共生─共通付加価値税の歴史的考察」と題して、欧州統合という共生のプロジェクトを支える鍵として構想された共通付加価値税が、租税主権をめぐる政治的反発や公平性の問題によって、正統性を減少させていった様子を明らかにした。川﨑聡史氏(獨協大学)は「遊びによるサイバー空間での共生の試み?─ドイツ人ハッカーの実験」と題する報告で、一九八〇年代の西ドイツにおけるカオス・コンピュータ・クラブの活動がサイバー空間における「共生」の実験だったことを描き、サイバー空間を切り開いていったハッカーたちが国家や資本の論理から独立した自治と自由を重視する空間を「遊び」として創出した事例を歴史的に議論した。

 報告はいずれも制度の内側で共生をどう保障するか、制度の外側からいかにそれを補完・批判できるか、という根本的な問いを扱った。それぞれの分野で第一線の研究者として活躍する人材をかつてDESKが支援できたこと、さらに、駒場キャンパスに拠点を置くDESKが全学の学生の支援を続けたことによって、高い学際性と学問的多様性にも貢献できたことを再確認できた。

 第二部は「欧州研究プログラムと私」と題した修了生座談会で、峯沙智也DESK特任助教の司会で、大下理世氏(中央大学)、田村円氏(慶應義塾大学)、中尾沙季子氏(東京大学)、渡部聡子氏(北海道大学)が自身の研究にとってESPがどのような影響と意義を持ったかを紹介した。ESPのカリキュラムと現地調査のための助成金の意義を強調する意見が多く、欧州研究にとっての現地調査の重要性が再確認される機会となった。

 ドイツ・ヨーロッパ研究センターのプロジェクトは、一九八〇年代末にコール政権が対外文化政策において、独文中心のドイツ研究から、ヨーロッパのなかのドイツとして新たな時代に即したドイツ・ヨーロッパ研究へと踏み出そうとするものであった。北米の拠点大学から始まった支援は、バーミンガム、アムステルダム、パリなどの拠点へと広がり、その後に東欧、東アジア、中東にも拡大した。冷戦終了後の体制移行期の社会的交流を、学術・文化面でも進めようとするプロジェクトだが、受け入れ国の政治の影響を受け閉鎖されるセンターもあり、現在では十九のセンターが協力ネットワークを構成し活動している。

 このプロジェクトはドイツ外務省予算によりドイツ学術交流会(DAAD)が実施しているので、ドイツ政府の予算と執行・管理方法の影響を受ける。学問の自由への介入は決してないが、例えば予算の使途はドイツの納税者に説明のつくものでなければならないとして、助成金の対象がヨーロッパからドイツ国内のみに限定された。

 二〇二五年五月に発足したメルツ政権でも、予算は大きな政治課題である。憲法には財政規律条項があり、財政赤字幅が厳格に制限されている。安全保障環境の変化にともない防衛費の一部が例外とされ、インフラストラクチャー投資も特別枠が認められるなど変化も見られる。しかし、財政の健全性は経済の安定成長の基盤であるとのコンセンサスは変わっていない。極右政党ドイツのための選択肢(AfD)が伸長しているが、AfDは設立当初反ユーロを旗印にした政党で、財政規律遵守、EUの連帯よりもドイツ優先の政策を主張している。

 ドイツ政治はキリスト教民主同盟・社会同盟(CDU/CSU)と社会民主党(SPD)を中心として緑の党や自由民主党(FDP)が連立を組み、安定した政治運営をしてきた。二月の選挙ではAfDや左派党が議席を増やしたため、メルツ政権はCDU/CSUとSPDの大連立政権となっている。野党緑の党を加えても中道政党の議席総数は議会内の三分の二を下回っている。ドイツの政治も変わっていくが、変化する政治状況の下でもDESK/ESPが次の世代に向けてドイツ・ヨーロッパ研究の知的ネットワークをさらに広げていく場であり続けることを願ってやまない。

(地域文化研究/ドイツ語)

第667号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報