教養学部報
第667号 ![]()
「美人観」は変遷したのか?──平安貴族と現代社会
永井久美子
『読売新聞』の取材を受けて、今年七月十六日、東京朝刊にインタビューが掲載される機会があった。記事の見出しは「過度な痩身願望 健康リスク」。医療部の記者が日本古典文学を専門とする筆者のもとを訪ねてきたのは、痩せている方が美しいとする風潮が、日本で広がったのはいつごろからかを訊ねるためだった。
「美人」の基準なるものは、いつ変わったのか、何がきっかけで変わるものなのか。これまでに、何度となく受けてきた質問である。筆者の主な研究対象は、平安時代の絵巻物である。絵巻に登場する貴族の顔といえば、下ぶくれの輪郭に、細い目鼻の男女を思い浮かべる人は多い。今日の「美男」「美女」像とは大違いなので、そうした疑問を抱く人が少なくないのだろう。ただし以後で述べるように、平安と現代の「美人観」には、共通点を指摘することもできる。
平安時代には、今よりもふくよかな体型が好まれたと考えられることがしばしばある。そう見なされるのは主に、物語絵巻に登場する貴族たちの顔が、先述のような引目鉤鼻と呼ばれる描法で、類型的に描かれているためだろう。ただし、絵巻における描写には、多分に誇張が含まれている。絵でリアルさよりも理想の姿を追及するのは、たとえば漫画で目が大きく描かれるのによく似ている。アプリで加工された写真にも、願望の反映が認められる。現代では、目は大きく、ウエストは細く、足は長く加工される傾向があるようだ。目指す方向性は異なるものの、平安時代にも現代にも、容姿を補正し理想を体現しようとする姿勢が認められる。
平安貴族の美の基準は、確かに現代の感覚よりも、ふっくらとした顔立ちや体形にあったかもしれない。ともあれ、腰の細さや足の長さが特に注目されるようになったのは、服飾文化が激変して、洋装が普及して以降のことである。また、身分の高い人物はみだりに人前に姿を現さなかったし、室内が今よりはるかに暗かったせいもあって、美しさなるものは、顔の細かなパーツの造形よりも、佇まい全般から判断されることが多かったようだ。そうした中で、豊かな黒髪は、遠目にも見栄えの良さが伝わりやすかったためだろうか、物語でも言及が多い。美の基準は、生活文化に左右されるところが大きい。とはいえ、目立つ箇所、得られる情報で判断される点は同様である。
『源氏物語』において、主人公の源氏は光るように美しかったと記され、その妻である紫の上は、その美質が桜に喩えられる。髪の美しさは語られるが、目鼻立ちに関する記述はなく、登場人物たちの美貌の表現は、その多くが比喩的なものとなっている。だから現代における「雰囲気美人」「雰囲気イケメン」なる用語を想起させる部分もあるが、こちらは「顔立ちが特別整っているわけでもないのに」よく見えるという点が強調されるため、美貌の人が醸し出す優雅さを讃えた平安の美的感覚とは異なる面がある。しかし、清潔感のある身だしなみや、センスのよい服装、スマートな振る舞い、そして、人に気遣いのできる内面性といった「雰囲気」に美を見いだす姿勢は、平安と現代に共通している。
『源氏物語』において、光源氏の容姿が具体的に語られた希少な例として、物語序盤の帚木巻における源氏自身の発言がある。受領と呼ばれる地方官の妻で、光源氏になびかなかった女性がいた。源氏は、優美な姿と無骨な姿を極端なまでに対比させて、後者を選んだ相手の判断を次のように責めた。「されど、頼もしげなく頸細しとて、ふつつかなる後見まうけて、かく侮りたまふなめり。(いかにも頼りにならぬ細首の青二才と見くびって、あんなみっともない夫を見つけては、こうしてわたしをばかになさるらしい。)」(現代語訳とも小学館『新編日本古典文学全集 源氏物語』より引用)。それは、首の細さ、太さそのものの問題というよりも、優雅さが重視された平安貴族の価値観を踏まえた論法であった。
「ふつつか」は「ふとつか」の転とされ、元来は、太く丈夫であることを意味する単語であったとされる。それが、行き届かないさま、無骨なさまを指すようになったのは、太さに卑しさを見出した平安貴族の価値観に依るところが大きい。そう考えると、平安の感覚は、「太っていた方が美しい」という、単純な評価ではなかったことが分かる。
平安末期頃に制作された絵巻物「病草紙」には、両脇を支えられながら歩く肥満体の女性が、周囲の人々の辛辣な視線にさらされ嘲笑される段がある。肥満の女性の職業について、「貸上」(高利貸し)であると絵巻の詞書に明記される点には、強欲さへの軽蔑も含まれているだろう。
「標準」から逸脱した人々をあざ笑う姿勢は、芥川龍之介が小説「鼻」の題材としたことで知られる、鼻の長い僧の説話にも認められる。物語や説話でわざわざ身体的特徴が描写されるのは、差別や物笑いの対象としてである場合が多い。平安の貴族社会は、規範から外れることへの恐れが、今以上に強いコミュニティであったようだ。「病草紙」に登場する「肥満の女」の目は苦しさにあえぐように歪み、鼻は上向きで穴が目立つ。「美の規範」から離れた存在として、引目鉤鼻の類型に当てはめず描いたのであろう。

昨今は、「美人の条件」の一つとして「忘れ鼻」なる用語があると聞く。派手すぎず顔立ちに調和した、違和感を与えない鼻のことを指すらしい。パーツの印象が強く残らないことに「美」を見出す価値観は、鼻の大きな僧を笑いものにした平安貴族に繫がるものがありそうだ。引目鉤鼻の鼻は、「忘れ鼻」に近いものがある。目もまた、バランスが崩れると不自然さが際立つパーツであると言われる。現代のアイメイクも、左右対称に近づけることが重視され、目の配置には黄金比があるとされている。涼やかな印象を与える引目は、平安貴族にとって最上級に整った目だったのだろう。
「悪目立ち」しないことに注力し、「規範」に近づくことを尊ぶとき、そのモデルが唐にあるのか、西洋にあるのか、そのあたりに、「美人観」の変遷なるものを見て取ることはできるだろう。その鍵は、地球上のどの地域の文化を平安そして近代の日本人が理想としてきたかにある。だから、外来文化に憧れと劣等感を抱き続けていること自体は、平安の昔も現代も一向変わりがないように思われる。
ありがたいことに、申請した挑戦的研究(萌芽)「外見描写と内面評価の相関性史──創発的・学際的協働研究」が今年度から採択された。人が外見からどのような印象判断を下しがちであるのかについて、歴史的経緯を追いつつ、今後、さらに研究を深めてゆきたいと考えている。
(進学情報センター/超域文化科学)
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