教養学部報
第667号 ![]()
1995年を起点に戦後80年を問う
伊達聖伸
去る八月二日、東京大学東アジア藝文書院(EAA)主催、上廣倫理財団協力のシンポジウム「戦後50年+30年としての現在から、世界に言葉を与える」が開催された。すでにEAAのブログでも報告記事を書いているので(https://www.eaa.c.u-tokyo.ac.jp/blog/sengo50purasu30/)、多少なりとも内容の重なりを避けるため、ここでは企画立案の背景から記しておきたい。
私は日本の戦後の専門家とは言えないが、フランス研究やケベック研究を続けるなかで日本との比較が求められる場面もあり、現代日本社会を生きる一員としても基本的な問題は押さえておきたいという意識はそれなりに抱き続けてきた。社会の輪郭は外からの視点で見えてくることもしばしばで、戦後60年の時期をフランスで過ごしていた私は、二〇〇五年刊行の高橋哲哉『靖国問題』を読みながら、小泉首相の靖国参拝はライシテの観点からどう分析できるかと考えていた。戦後70年の時期には、安倍政権による集団的自衛権容認など戦後の安全保障政策が大きく転換した。二〇一五年刊行の加藤典洋『戦後入門』を、私は二〇一七年にカナダのケベック州でサバティカルを過ごしたときに特に印象深く読んだ。というのも、この文芸批評家はモントリオールで数年間を過ごした帰国後に『アメリカの影』で文壇デビューしているからで、彼がとらえた日本像にはケベックからの視線があるのではないかと思えたからである。
高橋哲哉と加藤典洋と言えば、戦後50年に当たる一九九五年の『群像』一月号に発表された「敗戦後論」のなかで加藤が、平和憲法が圧倒的な武力を持つアメリカの占領下で押しつけられた戦後日本の人格分裂を克服し、先の戦争について近隣諸国に反省と謝罪を表明するには、まずは自国の三百万の死者を弔って主体を立ちあげ、二千万のアジアの死者に向き合わなければならないと記したことに対し、高橋がその順序の妥当性を問いただす形で批判し、「歴史主体論争」とも言われる重要な論争に発展したことで知られる。
加藤典洋の位置は当時、少なからず「右寄り」に見えた。ところがその後、日本社会が右傾化の傾向を強めたこともあるのか、彼の議論がやはり「左寄り」のものであることが、ますますはっきりしてきたように私の目には映っていた。そのことの意味をケベックとの比較から考えたいと思い、二〇一八年に私が企画した日仏会館のイベントでは、社会統合と多様性の承認の両立を唱えるケベックの歴史家で政治学者のジェラール・ブシャールの講演に対するコメンテーターとして加藤さんに登壇していただいた。それから約半年後の二〇一九年五月に加藤さんは亡くなられた。
この間、私は二〇一九年の四月に駒場に着任して、高橋哲哉先生が「同僚」になった。それまで直接の面識がなかったが、学内でお見かけする機会が増え、またコロナ禍の二〇二〇年七月にオンラインで開催された東京大学グローバル・スタディーズ・イニシアティヴ(GSI)のセミナーでは、討論者として質問させていただく機会を得て、その際には加藤氏との論争についても水を向けてみた。
駒場に着任してから私がおもに地域文化研究の新しい同僚たちと手がけるようになった研究に「小国」論がある。GSIの枠組みを利用して英語の論集を一冊刊行したあとも、EAAを拠点として、上廣倫理財団からもご支援いただく形で、研究を続けている。小ぢんまりとした「小国」論セミナーを定期的に開催しているが、今年は戦後80年ということもあり、できたら規模の大きいシンポジウムの場を設けられないかと考えた。
実を言えば、最初は「敗戦後論」再読の線を強くすることも考えていて、加藤典洋の教え子の一人でもあるクンデラ研究者の須藤輝彦さんに、セミナーにするかシンポジウムにするかを相談したところ、高橋先生に打診してみましょうということになった。戦後80年を問うにはいくつかの切り口があるだろうけれども、例の論争を念頭に置きつつ、戦後50年という節目の年である一九九五年を起点として、この30年の変化を意識しながら現在をとらえてみたいとお伺いしたところ、「戦後50年+30年」という問題設定を面白いと評価していただくとともに、30年前の論争をメインとするのではなく、そこはあくまでも議論の糸口として、今の世界をとらえる「言葉を与える」面に重心を置くのであればという条件でご快諾いただいた。この方向性は、駒場の若い学生に聴いてもらうにも大きな意義があると思え、企画の趣旨が固まった。日本の戦後と現在を考えるには、やはりアメリカとの関係が不可欠であることから、アメリカ政治・外交を専門とする三牧聖子さんに登壇をお願いし、シンポジウムの布陣が整った。
この間、國分功一郎さんも四月十九日、二十日にEAAシンポジウム「「敗戦後論」その可能性の中心」を開催されていて(https://www.eaa.c.u-tokyo.ac.jp/blog/haisenngoron/)、相乗効果のある企画であると確信できたことも私のなかでは大きかった。
八月二日当日は、台風の直撃も心配されたが進路が逸れる形で通過し、酷暑のなか多くの聴衆が18号館ホールに詰めかけてくれた。
高橋先生は、加藤典洋が「敗戦後論」で提唱した「自国の死者の弔い」を基点にした議論はその後十分に展開されることはなかったと指摘したが、憲法九条と米軍基地の相補関係という認識に基づく後年の議論には共感できる部分も少なくないと述べた。
三牧さんは、トランプ米大統領が戦後秩序を否定し、国連や国際法を軽視する危険を指摘した。帝国主義的姿勢が「ヤルタ2・0」を招きかねないと警鐘を鳴らす一方、ガザ連帯運動など米国内の変化に希望を見いだし、日本の選択を問いかけた。
須藤さんは、加藤典洋の批評を「受け取り直す」営みの重要性を説き、戦争体験は切断を含んで継承されると論じた。
当日の議論を私なりにもう少し詳しくまとめたものは、冒頭に記したように、EAAのブログ記事があるので、そちらをご覧いただきたい。
また、登壇者三名の議論は岩波書店の『世界』十一月号にも収録されているので、併読をお勧めしたい。
(地域文化研究/フランス語・イタリア語)
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