HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報668号(2025年12月 1日)

教養学部報

第668号 外部公開

<駒場をあとに> 駒場と共に三十一年

河合祥一郎

image668-02-1.JPG 一九九四年に初めて講師として着任して以来、三十一年間駒場にお世話になった。最初は佐藤良明・柴田元幸両先輩の打ち立てた英語一列のビデオ教材の作成を担当し、佐藤先輩と夜遅くまで英語一列の部屋に籠もる蛸壺生活を続け、守衛さんが見まわる頃にも英語一列の部屋には煌々と電気がついていて、「えー、佐藤さん、今日もカプセルホテルに泊まるんですか」といった会話を交わしていた。いや、これは異常だと気づいて蛸壺から抜け出すべく、運営班メンバーのローテーション制というシステムを作り出したのは私だった。英語一列に関しての思い出は尽きない。英語一列用の教科書The Expanding Universe of English II (2000)にはOur Myriad-Dressed Shakespeareという章を書いたし、『教養英語読本Ⅰ・Ⅱ』の注釈作成にもかなり尽力した。何度か運営班に戻ったが、英語一列の部屋はやはり私にとって駒場で一番居心地のよい場所だった。かつて小田島雄志先生や高橋康也先生が駒場にいらしたときは、9号館に英語教室(今の英語部会)の教員が集まる談話室があり、そこで知的な談議が交わされていたというが、今はそうした文化がなくなり、私にとっての最後の砦は英語一列の部屋だったというわけである。

 二〇〇四年から二〇〇五年まで英語部会の教務を担当したが、かつては木製の板に画鋲で授業担当者を示していたのがExcelに変わったのもこの時期だった。ちなみに、変えたのは、のちに五十三歳で急逝した私と同い年の安西信一先生だった。友を失った痛みは今も消えない。

 二〇一五年に英語の入試委員長となったとき、それまで手作業で行われていた記号の採点をマークシートに切り替える決断をした。東大二次試験でマークシート導入だなんて世間に騒がれるんじゃないかと危惧する先輩もいて不安もあったが、結局、何の波風も立たなかった。優れた同僚たちと何度も相談を重ねながら、高度な入試問題の作成や英語一列の統一試験問題の作成に心を砕いたのは愉しかった。東大英語よ、永遠なれ!

 二〇二〇年三月にコロナ禍により突然授業のオンライン化が決定されたときは、たまたま私が英語一列運営班チーフだったので、てんてこ舞いの対応に追われ、ネイティブの先生方に英語でのモデル授業を録画してもらってオンデマンドで全学生に観るように指示するなど知恵を絞った。一番困ったのは約三千二百人を対象とするオンライン試験だ。カンニングを防ぐことなど不可能なので、それに対応した問題に変えなければならない。重責を負ったサブチーフの井上博之先生に緊張で胃を痛める思いをさせてしまったのは申し訳なかったが、先生方の協力のおかげで乗り切れたのは、今では懐かしい思い出だ。

 一九九四年着任当初まだ18号館はなく、10号館四階に相部屋の研究室があった。そのときの相方だった加藤恒昭先生が二〇二一年に部会主任となったのち、二〇二三年四月から使い始めることになった現行の教科書『多元化する世界を英語で読む』の教科書朗読音声教材作成を、河合なら喜んでやるだろうと打診してきた。そこで、勝手知ったる18号館のスタジオで、英語を母語とする大学院生たちに指示を出しながら収録し、嘱託の鵜飼桂名さんと二人で編集作業を進めた。駒場ではいろいろ音声収録編集を行ってきたが、これが最後の作業となった。

 大学院所属は、最初は地域文化研究専攻だったが、すぐに超域文化科学専攻表象文化論コース所属に変わった。このコースを作った蓮實重彦、渡邊守章、高橋康也といった先生方が「神々の世代」と呼ばれていて、私が入った頃は、神々の時代を継承する小林康夫先生が睨みを利かせていた。実際、入ったばかりのとき、はっきり睨まれたことを覚えている。先輩の石光泰夫先生も、口頭試問では質問をする側である教員のレベルが試されているような緊張感があるとおっしゃっていた。表象文化論に所属するということは、太宰治の言葉を借りれば「選ばれてあることの恍惚と不安二つ我にあり」というプライドとプレッシャーを味わうことにほかならなかった。

 二〇一一年に教授になり、翌年には読売演劇大賞選考委員となったので、年間三百本を超える芝居を観るようになるが、同時に自分で芝居を作りたいという欲望が抑えきれなくなり、二〇一四年に駒場の21KOMCEEWestのMMホールで、私の翻訳・演出でシェイクスピアの喜劇『から騒ぎ』を上演した。

 主演は鳳蘭さんの娘の荘田由紀さんと、現在トム・プロジェクトの社長で当時は俳優をしていた高橋洋介さんだった。Kawai Projectの第一回公演である。Kawai Project, vol. 7の「ウィルを待ちながら」はシビウ国際演劇祭にも招聘されたし、二〇二六年十一月にはKawai Project, vol. 10として、近年シェイクスピア作と認められた『フェヴァシャムのアーデン殺人事件』の日本初演を私の新訳・演出で調布市のせんがわ劇場で行う予定だ。すべての始まりは、駒場だった。

 二〇一八年には超域文化科学専攻の専攻長となり、かなりテンパって、家族には迷惑をかけた。ただ、三人の子供たちも駒場生となって、みな私の演劇論を受講してくれたことを思えば、幸せな人生だったと思う―と締めくくっておきながら、角川文庫から刊行中のシェイクスピア訳を二〇三〇年には全作品について終えたいという野望があり、これからが勝負という思いもある。そうしたなかで長く過ごした駒場を去るのは、やはり寂しい。

 英語部会を長年支えてくださっている嘱託の有井秀子さん、中村素子さん、堀口佐枝子さんを始め、感謝を捧げなければならない人が多数いる。ありがとう。心から、ありがとう。

(超域文化科学/英語)

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