HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報668号(2025年12月 1日)

教養学部報

第668号 外部公開

<駒場をあとに> 私の軌跡と現在地

福井尚志

image668-03-1.jpg 駒場に赴任したのが二〇一一年一月、来年三月で退職なので、駒場にはおよそ十五年在籍したことになります。つい先日赴任したばかりのような気もするのですが、赴任当初お世話になった先生方も多くは駒場を去られ、時の流れを実感せざるを得ません。駒場に来るまで教員経験がゼロに近かった私が何とか今までやってこられたのも、部会のメンバーはじめ多くの教員や事務の方のご助力があったからにほかなりません。この場をお借りして厚くお礼を申し上げます。この原稿の執筆依頼をいただいて何を書こうか悩みましたが、退職を人生の節目と解釈し、現在までの自分の軌跡のようなものを書かせていただくことにします。

 私は一九八六年に大学を卒業し、整形外科を専門に選びました。当時の医局の制度に従って大学病院をはじめ五か所の教育病院で研修を受けましたが、その過程で膝関節外科、スポーツ整形外科を専門とすることにしました。その後一九九三年から東大病院勤務となり、ここで初めて研究を行う機会を得ました。はじめは上席医とともに靭帯の修復や再建手術に関する研究を行っていましたが、その間に自分の将来的な研究のテーマについて考えるようになりました。

 私が所属した膝の専門グループでは膝に関する様々な怪我や病気を扱っていましたが、なかでも患者さんの数が多かったのが変形性膝関節症(以下、OAとします)でした。膝OAの患者さんは世の中にたいへん多く、年配の方で膝が痛む、水が溜まるといった症状があればそのほとんどはこの病気が原因です。大学病院ではOAが進んでしまった患者さんを主に手術によって治療していました。手術を受ける患者さんはOAが進行した結果、手術以外の治療では症状が抑えられなくなった方ばかりです。そのような患者さんの治療を続けているうちに私は病気の進行を抑え、手術を受けなくても済むようにする手段の方がむしろ大事ではないかと考えるようになりました。こう考えた背景には、OAに対する治療は手術以外には痛みを和らげる対症療法しかなく、病気の進行を抑える治療が見当たらなかったことがあります。ちなみにこの状況は、それから三十年近く経った現在でも残念なことにほとんど変わっていません。

 OAの進行を阻止する治療法を考えるには、この病気がなぜ進むかを知る必要があります。このため私はOAが発症する仕組み、進行する仕組みを調べたいと強く思うようになりました。当時の国内にはOAの研究を精力的にされている先生はほとんどいなかったため、海外の先生に連絡して内諾をいただいたうえで当時の教授にお願いし、一九九九年より米国でOAに関する基礎研究を始めました。それまで基礎研究の経験はほぼゼロだったうえ初の海外生活ということもあってはじめは大変でしたが、約三年の留学期間にOAの研究を何とか自分で進められるようになりました。

 二〇〇二年に帰国した際、幸いにも基礎研究の設備がある国立病院(現在の国立病院機構)併設の研究センターに勤めることができ、そこでOAの研究を続けていましたが、前述のように二〇一一年に駒場の教員に加えていただきました。これも自分にとっては大きな変化で、身体の授業や駒場の複雑なシステムにはじめはだいぶ戸惑いましたが、大過なく定年を迎えられそうなのは、本当に周りの方々に助けていただいたからに他なりません。もちろん反省すべき点もたくさんあります。なかでも後期、大学院の教育については自分のテーマが身体を志望する学生さんの関心から離れたものであったため、十分責務を果たせなかった点は悔やまれます。研究テーマを変更するかOA以外のテーマも並行して行うべきであったかもしれませんが、それほどのゆとりもなく、結局今に至ったというのが実際です。また研究についても、患者さんの実際の病状と採取された検体の解析結果、培養細胞などを用いた実験の結果を照らし合わせるという研究手法を続けたため駒場キャンパスでの研究が難しく、結局現在に至るまで以前勤務した研究センターで研究を続けてきましたが、この点も、もう少しどうにかすべきだったように思います。

 一方、一貫して同じテーマを追ってきたがためのメリットもありました。OAは比較的ゆっくりと進行する疾患なので、同じ患者さんを長期にわたって診療していてはじめて気づかされたことがいくつもありました。そういった知見は成書や総説に記載がなく、自分の思い違いの可能性もあるのですが、自分の知見を考慮することで検体の解析結果や細胞実験の結果がはじめて理解可能となることもあり、そのすべてが誤りということもなかろうと楽観的に考えています。またそういった知見や検体の解析結果の積み重ねから、OAの病態について自分なりの理解を持つに至りました。もちろんその理解も正しいかどうかは不明で、現在その検証作業を進めている最中です。幸い来年四月からは以前から研究を続けているセンターで再度の雇用となる予定で、駒場を卒業したあとはそこでもう少し研究を続けます。

 駒場では与えていただいた高い自由度の中で、自分が病態解明に必要と考える研究を、成果を焦ることなくじっくりと進めることができ、その結果、三十年前に抱いた問いに対する自分なりの解答を見つけることができました。それが正解か否かは別として、そのような研究が行える機会を与えてくれた駒場の寛容に深く感謝しながら私は駒場をあとにします。駒場を取り巻く環境は昨今厳しさを増しつつあるのかもしれませんが、駒場の良さ、素晴らしさが時代を超えていつまでも受け継がれることを望んで止みません。

(生命環境科学/スポーツ・身体運動)

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